未知亜

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3/10/2025, 12:05:51 PM

ㅤ夕方。台所の流しを掃除しました。シンク周りの水気を拭いて、無心にステンレスを磨きました。すっかりきれいになった後、冷たい水を流しました。お湯より水のほうがカビになりにくいと聞いたので、指先がピリピリしたけど我慢しました。見えなかった汚れが排水溝の奥から逆流したのか、少しだけ浮いてきました。水を当てれば当てるほど、ヘドロのような塊は細かに千切れ、シンクをくるりと回るだけ。水の容易に届かない隅にしばらく留まって、なかなか流れ去ってはくれませんでした。
ㅤそんなふうにこびりついたものが私の心のなかにもあるのかもしれません。未練。後悔。或いは愛情の成れの果て。激しく捻れ淀む何かが。
ㅤ願いが1つ叶うならば、どうか誰の目にも触れぬまま。どこへなりと流れてゆきますように。



『願いが1つ叶うならば』

3/9/2025, 4:37:45 PM

そんなに悪いことを私はしたのだろうか?
あの時あなたは何度も繰り返してた。
『私の事、やっとわかってくれたね』と。
あなたをわかるなんてこと、
果たしてできるんだろうか。
そう思いながら私は曖昧に頷いていた。
あなたのそばにいたかったから。
でも結局は『何もわかってない』と言われてそれきり。

嗚呼。
いったい何と言えば、
あの時のあなたに正解だったのか。
私があなたを的確に、
あの時『わかる』べきだったのか。
考えても考えても独り
答えは永遠にあなたのなかにある。
嗚呼……。


『嗚呼』

3/8/2025, 3:45:19 PM

ㅤ秘密って、そそられるよね。誰にも知られないことってさ、やっぱり特別って気がする。秘密にしたいだなんて、特に思ってないとしても。だからこれは、きっとそのひとつ。
「ねえ……あんま、みないで……」
ㅤあなたの瞳が潤んで揺れる。握った手に力が籠る。
ㅤ繋いだ指をそっと撫でると、本人すらも知らないその場所に僕は優しく唇を落とした。


『秘密の場所』

3/7/2025, 4:53:29 PM

ㅤ洗濯物を干しながら。近所を散歩しながら。きみはすぐに歌いだした。歌詞がわからなくなると、いつもラララで誤魔化しはじめる。下手くそな鼻歌。
「ほとんどラララじゃないか」と僕が笑っても、「これはそういう曲なの」ときみは澄まして歌いつづけた。
ㅤ今日いつものカフェが休みでたまたま違う店に入ったら、ラララばかりで歌う曲が流れてて。検索なんかしなくても、タイトルがすぐ分かったよ。
ㅤさよならラララ。


『ラララ』

3/6/2025, 3:22:42 PM

ㅤ冬の匂いが好きだ。
ㅤなぜその話題になったのかまるで覚えてないけど、「なにそれ」とキョトンとしたきみの顔はよく覚えてる。
「ほかの季節ならわかるけどさ」
ㅤ冬に匂いなんてある?
ㅤあるよ、とわたしは笑う。
「なんていうか、真新しい紙みたいな匂いじゃない?」
「紙って、ペーパーの?」
「そう。ペーパーの」
ㅤふうん、と言ってきみは黙る。『真新しい紙みたいな冬』を感じてみようと試みてる。こういうところが好きだなと、わたしはまた思う。
「あー、やっぱわかんない、だって暑すぎるんだもん」
ㅤ七秒くらいでギブアップ。予想したより長かった。
「春は花とかさ。夏はほら、なんかむわっとする匂いとか?ㅤすぐ浮かぶけど。この状況で冬を召喚すんのは無理だわ」
ㅤマジで暑すぎ!
ㅤ並んで座ったバス停のベンチで、きみはシャツの襟をパタパタさせて、控えめに夏へ抗議する。
「秋の匂いは?ㅤどうなの?」
ㅤわたしが訊くと、きみはベンチの背もたれに頭を預けて空を向く。背中がベタつくのか、浅く座って首だけをもたせかける。きみの前髪を揺らした微かな風が、わたしの髪と心を揺らす。
「うーん……金木犀?」
「そのままだなあ」
「えー、秋の始まりといえばデフォでしょ」
ㅤそれか焼き芋かな。また買いに行こうよ、あのオマケしてくれるとこ。

ㅤ最後には大抵食べ物になって終わるきみの話。あの会話は確かに夏だった。なのになぜか冬にだけ、このやり取りを思い出すのだ。
ㅤ風が運ぶ、新しい紙の匂いと懐かしいきみ。

『風が運ぶもの』

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