『巡り逢えたら』
また、巡り逢いたい人がたった1人だけ居る。
一度だけ出逢った名前だけを知っているあの人。
あの人は、姿も声もはっきりとは見えない朧げで、
この世の人では無い事だけは分かった。
あの人は、そんな存在だった。
ずっと、ただ私の後ろに居るのはなんとなく分かる。
人が後ろに立っているような感覚があるから。
私はそれを怖いとも嫌だとも思わなかったのは、
何となくその理由を分かっていたから。
たまに私に存在を教えてくれる時が何度かあった。
抹茶アイスが欲しいと指差したり、
エレベーターホールに居たり、
それも季節で服装が変わっていたり、
稀に、存在の意思表示してくれることが
私は、嬉しかった。
何故なら、
あの人は、何年も私の後ろにいてくれたから。
楽しい時も、悲しい時も、側に居てくれたから。
あの人は
決して家の中まで入ってこなかったし、
心の中まで入ってこようとはしなかった。
それに、
私はあの人が何者かなんて、何でも良かった。
ただ、ずっと
あの人は側に居るものだと思っていたから。
側に居て、
私の命が尽きた時、
やっと声を聞けるんじゃないかと思っていたから。
だけれど、
別れは突然やってきた。
あなたは、最後だからと意思表示して、
私の家族の身体を借りて、私に逢いに来た。
私は、なんとなく
『もう、二度と逢えない』のだと悟った。
だから、あなたの名前を訊いた。
もう一度、あなたに巡り逢えたら分かるようにと。
いつか、私の命が尽きた時
あなたの名前を呼べるようにと。
『奇跡をもう一度』
奇跡なんて、この世にないと思っている。
奇跡という言葉がそもそも私は嫌いだ。
奇跡的に数字がゾロ目になったとか、奇跡的に同姓同名に会ったとか、
偶然がただ積み重なっただけなのに、初めの一回目を奇跡と言って、そこに影も形もない存在を信じている。
一回目をもう一度なんて、
もうそれは奇跡なんかじゃない。
私達が、それ選択したに過ぎない結果であり、
行動を起こさない限り、奇跡というものも起きないものである。
本来の奇跡というものは、行動を起こし紡がれた命の上に私達が立っている事、それこそが奇跡と言えるのでは無いだろうかと私は思う。
今生きる私達に紡がれてきた奇跡は
これから先へと紡いで行かなくてはならない。
私は、夏の大きい雲を見ると、
あの日を思い出す。
貴方が、病室の窓から外を眺めている景色にあった大きい夏雲。
私は、その夏雲を見ている貴方の横顔に胸が締め付けられる思いだった。
いつまで、この横顔を見ていられるだろうか。
貴方は、その景色に何を思っているのだろうか。
貴方の気持ちを知りたくても、知れないもどかしさに胸が痛んで泣きたい毎日だった。
でも、あの日に選んだ貴方の思いは、正解だったと思ってる。
貴方が、病室から眺めていた目線の先にある思いは本当はずっと帰りたいだったでしょう?
人生に正解なんてものは無いけれど、
あの日だけは、間違って居なかったと思ってる。
だって、
夏の大きい雲を見る度に、
あの日の貴方の嬉しそうに笑った顔を思い出せるのだから。