『誰かしら?』
月桂樹の花の花言葉は「裏切り」。
それを知ったのは、学生時代に短期のアルバイトで花屋を手伝ったことがあるからだ。
「月桂樹の花言葉は『栄光』や『勝利』なのに、葉や花の花言葉はちょっと怖いんだよ」と言われて驚いた。
月桂樹の冠はオリンピックやスポーツの世界大会などでたまに目にする。
けれど、その花が黄色く爽やかな風情なのはあまり知られていないのではなかろうか。
爽やかな見た目と裏腹な花言葉。
花屋のアルバイトから何年経っても、それが頭に残っていた。
社会人になり仕事にもようやく慣れた頃、ある男性と深い仲になった。
入社当時に仕事を教えてくれた先輩だ。私はすぐにのぼせ上がったが、彼には既に妻がいた。
別れてくれるかも、などという愚かな希望を持っていたのは最初の2年ほど。
今ではそんなことは起こらないと分かっている。
ただ、このまま黙って身を引くのが癪に障るだけだ。
だから、毎日そっと彼の家に花を届ける。
月桂樹の花を一枝だけ。
毎日毎日、一枝だけ。
彼の妻がこの花言葉に気づくかどうかはわからない。
ただの不審物扱いをされてもいい。
一滴ずつ垂らす毒薬のようなものだから。
物陰から様子を窺っていると、玄関が開く音がした。
彼の妻が、今日も置かれた月桂樹の花を見つける。
「またあるわ。薄気味悪い。一体、誰なのかしら?」
『芽吹きのとき』
花粉に悩まされる時期は、芽吹きのとき。
涙で目の周りが熱を持っても、鼻水でぐしゃぐしゃなのに鼻が詰まって息苦しい理不尽さも、これらはすべて春の訪れの余波なのだ。
春は好き。植物が淡い色合いに彩られるから。
この季節を恨みがましい気持ちで迎えたくなくて、今日も花粉症の薬を飲む。
『cute!』
一目見て心を撃ち抜かれるような可愛らしさと、最初は「なんだこれ……キモ…」と思っていたのに、慣れなのかなんなのかジワジワ可愛く思えてくるものとある。
ミャクミャク様は完全に後者だ。
『記録』
“ さぁ冒険だ!”
そんな言葉から、その手記は始まっていた。
前途洋々と、希望に満ちた言葉がその後も続く。
だがしかし、読み進めるに従って次第に翳りが見え始め、どんどん雲行きが怪しくなっていった。
“どういうことだ?”
“なんで?どうして?!”
“聞いてない、こんなの聞いてない”
“嘘だ…そんな……”
“騙された。全部嘘だった”
“帰りたい……帰してくれ!”
“……許さない……絶対に許さない”
頁を閉じて深呼吸をする。
ここは国の最上層部の者しか入れない場所。
似たような書物は、この厳重に秘された書庫に何冊もある。
これは、この国に召喚された勇者の記録だ。
『一輪の花』
よく、病院に行く度に思うことがある。
私の言うことが、医師や看護師に正確に届いていない、と。
痛みや苦しみをなんとか伝えたいのだけれど、向こうは「よくあること」として処理するか、彼らの経験則に依って「それはこうだから」と私に言い聞かせる。
それはそうなのだろうけど。
どうしようもない不安や苦しさを、解ってほしいと思ってしまうのだ。
でもそれを彼らに期待するのは、少し違うのかもしれない。カウンセラーとか、そういう職業の人は別にいるのだから。
帰りのバスが来るまで、病院の中庭でベンチに腰掛ける。
入院患者の無聊を慰めるためか、やさしい色合いの可憐な花々が咲いていた。
それを少し眺めた後、立ち上がって院外へと歩く。
バス停のある石畳の間から、ひょろりと頼りなさげな白い花が一輪咲いていた。
中庭の花々とは比べものにならない、ちっぽけで目立たない地味な花。
誰にも気づかれずに踏まれてしまうかもしれない花。
バスが来るまでのあいだ、目が離せずにじっと見つめ続けていた。