些細なことでも
自分の性格の悪いところなのだろうが、疲れていると、些細なことでも異常にイライラする。
信号無視の車を見たとき、エレベーターがなかなか来ないとき、知らない家のブルドッグににらまれたとき、突然の雨のとき。
あとからきた客のラーメンが先に来たとき、膝が痛いとき、膝がかゆいとき、飲酒運転のニュースを見たとき。
でも大人なので、自分で自分の感情は抑えられる。絶対に、表には出さないようにしている。
はい、どうぞ。 同僚がクッキーを持ってきた。
えっと、ありがとう。なに、どうした?
お疲れみたいなので。なんとなく。
自分では完全に、自分の中にイライラを封殺していたつもりだったが、彼女には見抜かれていたらしい。
そんな疲れて見える?
そこまでじゃないですけど。なんとなく。
僕の些細な違和感を見分けられてしまった。なんでわかったんだろ。
なんだか、ちょっと恥ずかしい。
心の灯火
時間がなくなってくる。大人になるってそういうことらしい。ギターを弾く時間もない。このままじゃ、部屋にあってもなくても、おんなじ程度の存在になってしまう。
短い記憶。ほんの少しの。
昼休みに友人が気まぐれで弾いた、短いメロディ。10年以上経ったが、今でもあの続きが気になる。
ギターのない生活に変わってしまうのか、と考えていたが、あのメロディがそれを踏みとどまらせる。
心の灯火。
完成することはない。あいつはもういないから。
でも消えることもない。消させるわけにはいかない。
またそのうち来るよ。 心の中でそう言って、墓参りを終えた。
開けないLINE
風呂上がり。
LINE来てたよ。
ああ、そう。 通知をチラッと見た。構わずテレビに向き合う。
なに、見ないの?LINE。
ああ、あとで見る。 彼女がジロリと視線を向けてきた。
……怪しいんですけど。なに?女?
違う。いや、女だけどそういうのじゃない。
じゃあ開いて。
いや、いまテレビ見てるから。
テレビ見ててもできるじゃん。なに?浮気なの?浮気してるの?
ち、違う。してない、してない。
じゃあなんでここで開けないの?
いや、だからさ……。
抵抗むなしく、結局その場で開いてみせることになった。
"お誕生日おめでとう
ママの1番大切な僕ちゃん。お誕生日おめでとう。ママはいつも僕ちゃんの幸せを願っていますよ。もし寂しくなったらいつでもママのところへ帰ってきていいでちゅよ。僕ちゃんの大好きなホットケーキ作ってあげまちゅからね。 ママより。"
……なんか、ごめん。無理やり見せろって。
いや、こちらこそ、なんか、ごめん。
不完全な僕
カレーライスを作っていると……。
またカレーかよ、と弟と妹が口を尖らす。
わかった、わかった。きょうのはひと味違うから少し待ってな、 と、とりあえずなだめた。
さてどうしようか。キッチンを見回す。
確かこれいけたよな、と何処かで聞いた記憶を頼りに、チョコレートを鍋に入れた。
いただきます。 ふたりが一口。
どうだ。
おお、うまい。いつもよりちょっとだけ。なっ。
うん。ちょっとだけ美味しい。
そうかそうか。 ちょっとだけらしいが、それでも良かった。また一歩、完璧なカレーに近づけたようだ。フフッ。
ただいま。 姉が帰ってきた。
なに、カレー?
ああ、食べる?
うん。 勢いよく一口。すると、
なに、これ。甘すぎない?
あ、うん。隠し味にチョコレートを。
だめ。何やってんの。あんた、子どもじゃないんだから。 そう言って姉は冷蔵庫からワインを取り出し、ドバドバっと鍋に入れた。
しばらく煮込んで、
うん、美味しい。やっぱりカレーにはワインだな。
そ、そうか。 まあ、これはこれで完璧カレーに近づけたか。
ただいま。 母が帰宅した。
お腹すいた。あら、カレー?わたしにも頂戴。
僕は皿によそって母に運んだ。一口食べて、
なにこれ、クドい。何入れたの?
えっと、チョコレートとワインを……。
だからこんなにクドいのね。 そう言って母は冷蔵庫からレモン汁を出し、鍋にドバドバっと入れた。
うん、さっぱり。これでいい。と、母。
兄妹たちで新生、完璧カレーを食べる。
おお、美味しい、と一同。
まあ、美味しいのができたから、それはそれでよかったけど……。
こっちがいいと言われればこっちが良く思え、そっちがいいと言われればそっちがよく思えて……。
こんな不完全な僕に、本物の完璧カレーを作る日は訪れるのだろうか。
香水
モテたくて。いや、たくさんモテなくても良いから、せめてあの人だけにでも、こちらを見てほしくて。
初めて香水をつけた。
すごくいい香りですね。 何人かに声をかけられた。
あの人以外に。
別の香水に変えてみた。
すごくいい香りですね。 声をかけられた。同じ人たちに。
やっぱりあの人以外。
別のに変えても結果は同じ。
一体、どの香りなら、あの人はこちらに気づいてくれるんだろう。
わかってる。
結局……。結局は、こちらが声を掛けなきゃ何も始まらないって。
だからもし、もしあるなら、だけど。
周りの人を楽しませる香りじゃなくて、自分を良く見せる香りでもなくて。
勇気をくれる香水が欲しい。
ほんの少しの勇気でいい。
それさえあれば。
あとは自分で頑張ってみるから……。