イオリ

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5/11/2024, 10:31:20 PM

愛を叫ぶ

 チョモランマに登ろう。

 南東稜登山、ネパールからのノーマルルートだ。

 5300mのベースキャンプからスタート。天然の迷路、アイスフォールを超え5900mのキャンプ1へ。ウェスタンクームを歩き6400mのキャンプ2を目指す。

 そこからローツフェイス氷壁を登り、7300mのキャンプ3へ。ここでは斜面にテントを張る。キャンプ3からイエローバンドを超え、8000mのキャンプ4へ。

 ここからはデスゾーンだ。酸素吸引しながら進む。ヒラリー・ステップを超えると傾斜が続く。

 ようやく8848mの山頂へ。

 残った体力を絞り出し、全身全霊で君に愛を叫ぼう。ここでなら、世俗の愚かさにとらわれず、愛を叫ぶことだけに専念できるはず。己の全てをかけて、愛だけを叫ぼう。

 届くはずもない。届かなくてもいい。

 ただただ、愛を叫びたいんだ。

5/10/2024, 11:15:56 PM

モンシロチョウ

 ひらひら、ひらひら、白い羽。

 僕は引き出しから魔法のタクトを取り出し外に出た。

 春、いや初夏と言ってもいい程の朝日。光を含んだ空気の中に静かにタクトをかざす。

 さて、何にしよう。

 とりあえず、ドビュッシー。牧神の午後への協奏曲。タクトを振ると、空に曲が流れ始めた。静かなソロのフルート。美しい始まりの音に、なんだなんだと、白い羽たちがざわめき出す。 

 次は、ショパン。子犬のワルツ。曲のテンポがアップし、モンシロチョウたちが跳ねるように踊りだす。 楽しそうだ。よし。

 最後は、グリーグ。ペール・ギュント組曲。アニトラの踊り。美しく、そしてどこか妖しい調べ。こっちだよ、こっちだよ、とモンシロチョウの群れを誘導する。

 到着したのは、2つ隣の家の畑。

 はい、皆さんこちらですよ。卵はこちらで産んでください。間違っても、うちの畑のキャベツは食べないようにお子さんに教えてくださいね。

 

5/9/2024, 10:47:23 PM

忘れられない、いつまでも

 電車通学していた。

 進学校に通っていたが、元々頭の出来が良くなかった僕は、毎日、単語カードとにらめっこしながら電車に揺られていた。

 ある日の帰り、いつも通り座ってカードをめくっていると、途中の駅で年配の婦人が乗ってきた。
 
 荷物を抱えていたので、どうぞ、と席を譲ると、彼女は、左手の甲を上にして胸の前におき、右手でチョップするような仕草をした。

 手話なのだろう、と思った。おそらくありがとうの意を表していると。確信はなかったが、とりあえず軽く頭を下げた。

 あとでネットで調べたら、やはり感謝の意だった。正確にはチョップを振り下ろすのではなく、逆に振り上げるものらしい。その時はてっきり振り下ろしたと勘違いしていた。

 発話障害なのか、ろう者だったのかはわからない。いずれにしても、手話というのが本当に役に立つのだなと印象に残った。

 と同時に、いま勉強中の英単語が実際に役立つのか不安にも思ったのを覚えている。

5/8/2024, 9:44:55 PM

1年後

 宇宙戦艦ヤマトのプラモデルに2つの瓶を取り付ける。

 右舷の瓶には夢や希望、僕の好きな歌を入れて。

 左舷の瓶には不安と不満、心底にこびりついている呪いの言葉を吐いて詰め込む。

 大精霊から授かった魔法の力で、僕はヤマトに生命を吹き込む。

 台座を離れゆっくりと飛び立つ。推進力の赤い火を放ちながら、空を破り宇宙へ。

 魔法は1年だ。1年かけて宇宙を巡り元のテーブルへ戻って来る。

 2つの瓶は、1年後にはどうなっているのだろう。

 蓋はしてある。逃げ出すことはないだろう。でも、宇宙の温度や放射線の影響を受けて何らかの変化があるかもしれない。
 
 何よりも地球の重力を離れたことが大きい。世界の俗識から解放された僕の純粋な思いは、1年経ってもそのままなのか、あるいは霧散しているのか。

 1年後が楽しみだ。


 とは言ったが、本当は僕は魔法が使えない。だから、目の前の宇宙戦艦ヤマトを実際に宇宙へ上げることはできない。

 仕方ない。本当の宇宙は無理だから、自分の心の中の宇宙へ飛ばそう。もちろん2つの瓶を添えて。

 これはこれで1年後が楽しみだ。

5/7/2024, 10:22:31 PM

初恋の日

 先輩と仲が良いらしい、と友人から聞いた。

 それまでは何も思わなかった。

 その日、ドラッグストアでいつも買うスナックに加えて、初めてムースを買った。いくつか種類があったが、男なら、ということでスーパーハードをかごに入れた。

 帰ってから鏡の前でさっそくつけてみた。白い泡が、シュワシュワという音とともにすっと消えていった。
 
 兄、母、父。帰宅した順番に同じように笑われた。思った形にはならなかった。

 翌朝、再チャレンジしたが、結局シャンプーし直して何もつけずに登校した。

 そんな失敗など彼女が知るわけもない。だが、なぜか恥ずかしさで視線をそらしてしまった。


 という話を年上の彼女にした。

 あなたにも中学生らしい恋があったのね。

 まあね。君は?初恋。

 今よ。

 はい?

 今が初恋なの。 笑いもせず、真面目な顔で言う。

 ええっと。なに?なにが目的?

 さあね。 ようやく少し笑顔を見せる。

 
 くっ。わからない。この人は。この人だけは。




 

 

 

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