誰よりも
小学生の頃、日本で1番偉い人って誰か、という話を友達の間でしたことがある。その時あがったのは、ふたり。総理大臣かそれとも天皇陛下か。
少し成長すると、天皇陛下は政治を行わない、というのを知り、総理大臣が王座に座った。
もっと成長すると、社会って複雑なんだなと知り、総理大臣かそれとも元総理大臣か、それとも幹事長か、とアンビバレントな選択肢が出現した。
さてさて、なにが正答だろうか。
今現在の僕の答えは、種を蒔く人。総理大臣だろうが、イーロン・マスクだろうが、アレクサンドロス大王だろうが、食べなきゃ命は始まらない、疾走れない。全ての生産の基と、誰よりもひたむきに向き合う人が1番偉い。
僕は大人なので、1番を決める必要もないが。
10年後の私からの手紙
自室のテーブルの上に、観葉植物が置いてある。フィカスベンジャミン。4号の鉢。
まだまだ小さいが、育て方次第で背の高い木になるらしい。
観葉植物の鉢は、2年を目安に一回り大きなものに植え替えると成長が進みやすい。
もしきちんと10年育てたら、9号の鉢になっているはず。なかなかの大きさ。幹も斑の葉も、さぞかし見応えのあるものになっているだろう。
もし10年後の自分から手紙がきたら。
立派なフィカスベンジャミンにふさわしい男になれるかどうかは自分次第。楽しみにしていい。楽しみにして頑張れ。
バレンタイン
子供の頃、バレンタインは嫌だった。毎年くれる女の子にどんな顔をして受け取ればいいのかわからなかった。好きではなかったから。
大人になると、クリスマスにはケーキ、みたいに、ただの儀礼的なものだと思うようになった。誰からでも笑顔で受け取れる。
だからといって、この日のわずらわしさが消えたわけではない。
帰り道で、細い脇道に入った。廃屋の側に寄り、周りに人影がないことを確認する。
受け取った箱から中身を取り出し、地面に投げた。すぐさま、僕の影が腕を伸ばす。拾ったチョコレートを大口を開けて影が飲み込んだ。
ふたつ、みっつ。池の鯉のように、僕が投げるのをまだかまだかと影が急かす。
今年はこれで終りだよ、と僕がいうと、影は名残惜しそうに僕の形に戻っていった。
帰宅した。夜。
真っ暗な部屋で、鞄を開けた。ラッピングされたひとつの小さな箱を取り出す。
明かりをつけずに、中身を食べ始めた。
ごめんな。これはお前にやるわけにはいかないんだ。
甘いものは苦手だ。影に気づかれる前に、ペットボトルの水で急いで流し込んだ。
待ってて
おはよう。こんにちは。挨拶をしよう。
握手しよう。苦手な相手ともできれば笑顔で。
食事しよう。同じテーブルで。互いの故郷の料理を勧め合うのもいいかもしれない。
ピアノをひこう。ギターでもいい。大きな音を鳴らして同じ歌をうたおう。
飛行機に乗ろう。同じ窓から大地を見よう。線なんてどこにもないことを確認しよう。
こんな小さなことからはじめよう。
待ってて、平和さん。まだまだ時間はかかるけど、みんなで必ず会いに行く。
伝えたい
レモンいる?と訊いた。紅茶を飲んでいたから。
伝えた言葉はシンプル。でも本当に伝えたいことは複雑。
一緒に飲もう。そのあとは一緒に花壇に花を植えよう。お昼は外で。そのあとは映画館へ。アクションにしよう。ラブストーリーは照れくさいし、食べた後だから寝てしまうかもしれないから。
キスしたい。キスしよう。映画館の暗闇の中がいいか、それとも帰ってからがいいか。
帰りに朝食のパンを買っていこう。同じパンにするか、それとも2種類買ってはんぶんこにしようか。
どうしよう。何から話そう。
いらない、と彼女がいった。
なにが?と訊き返す。
だから、レモン。
本当に?
本当に。ちゃんと覚えてね。私は紅茶にレモンはいらないの。彼女が笑顔でいった。
どうしよう。明日はなんて声をかけようか。