つらい時、決まって同じ夢を見る。
実家のリビングで、会ったことのない青年と話をするのだ。
閉めたカーテンのスキマからちらちらと光が差す以外には灯りのない部屋のソファに並んで腰かけ、私の取り止めもない話をただ聞いてもらう。青年は私より少し年下に見えるが、彼の微笑む顔はすべてを受け入れてくれるようで、娘が生まれ日に日に増す責任の重みに沈み込んでゆく生活の中で、どこにも吐き出せない弱音を彼にだけは話すことができた。彼の口から音の発するところには出会ったことがなく、話したことになにか解決策を示してくれるわけではないが、彼と話した次の日からはまたしばらくは頑張ろうと思えた。
生まれる前に父親を亡くし母と2人で生きてきた私にとって、父親らしい振る舞いというものはうまく捉えきれず、世間の求めるイクメンの残像に追われるように父親を演じてみる毎日ではあるけれど、それでも背筋を伸ばして立っていられるのは名前も知らない彼との穏やかな時間のおかげだと、照れくさいけれどいつか伝えられるといいな。
あなたのようにホームランを量産する秘訣はなんですか
と、たびたび同じような質問を受けるが、私の答えは実に単純である。
ボールを人生で最も嫌悪しているニンゲンの顔と思うのだ。
彼奴の顔面にバットを喰らわせてやる、と、心から決意が定まれば、そのための身体の動かし方は本能が導いてくれる。もはやそこには投手との駆け引きは存在せず、ボールの軌道や緩急も問題ではなくなる。
あのクズの鼻先から頭蓋を砕き破り、脳髄を発散させる一振りを完璧にイメージできたならば、数秒後には白球はスタンドに放り込まれている。
この話は特段秘匿しているわけではない。請われれば惜しみなく伝授してきたつもりだけれど、皆一様にあいまいな感謝の言葉を浮かべるばかりで打席で実践した者は私の知る限りいない。曰く、自ら手を下し絶命させたいとまで願うほどの憎悪を持ったことがないため、実用できるほどのイメージへの没入が叶わないのだそうだ。
なるほど、このような感情が特異なものであるならば、これは私しか持たぬ強みと言えるのだろう。母から人生でただひとつ受け取っていたものの大きさを自覚したのはこれが初めてであった。
朝の6時15分
推しの朝活配信が始まる時間
朝型のわたしが宿題を済ませてデイリーを消化する時間
丸刈りのきみが日課のロードでうちの前を通る時間
だけれど今日は台風が、日本列島を縦断中
わが町も暴風警報の赤い円にすっぽり包まれて
窓がガタガタ鳴っている
さすがに今日はおらんやろうとは思いつつ
学校も休みだし、とぼーっと外を眺めていたら
黄色いカッパを着たきみが、いつも通りに走ってきた
思わずガタガタ鳴る窓を開けて
「なんでこんな天気やのに走ってるん!」
きみはビクッと振り向くと、わたしの方へにいと笑って
「ヤバそうやから帰るとこ!」
「ここ山本の家やったんや」
明日にはわが町は台風一過の晴れ予報
きみはきっとうちの前を通る
わたしは明日からどうしよう
気がついたら推しの配信は終わっていて
いつかのコラボの切り抜きが流れていた
心はいつまでも少年だから
今日も半ズボンで出かけるけれど、
リュックの中にはお守りとして
ウールのカーディガンを入れておこう
やりたかったゲームを何本見送っただろう
行きたかったあの店はもう、とうに潰れた
会いたいひとにも、何年会えていないっけ
空しいだけの仕事をこなして帰ったら寝る
生きるのに金は消えて休日は疲れて泥の様
ずいぶん自分の顔をちゃんと見てないけど
わたしは今ちゃんと人の形をしてるのかな