#ありがとう、ごめんね
父へ。
#部屋の片隅で
寝室の片隅を見ると、子供に追いやられた私のぬいぐるみが適当に積み重なっていました。
ソールオリエンスとカレンチャン。
先日まではディープインパクトもそこにいたのですが、彼だけは私の布団にそっと戻しました。
ソールオリエンスとディープインパクトならともかく、ソールオリエンスとカレンチャン。何メートル走るレースなのかと考えてニコニコしてしまいます。同じ大きさのぬいぐるみは、他にもアーモンドアイとサクラローレルがいて、押し入れの中に住んでいます。短距離馬のぬいぐるみは少ないのでしょうか?どうせならロードカナロアや、マイルですがグランアレグリアも欲しいと思っていますが、見かけたことがありません。
短距離マイルは層が薄い我が家ですが、近々タイトルホルダーくんをお迎えできそうなので、そのうち片隅ステークス(東京競馬場・芝2400m)でも開催しようかと思います。
一方で、そんなサラブレッドたちを後目に堂々と子供の布団に並べられたのは、すみっコぐらしのとかげちゃん。……本当は部屋の片隅の方が好きなんじゃないかなあ?きっといたたまれない思いをしているのだろうなぁ。
そんなことを考えながら、壁のコンセントを背にして寝室の片隅で眠りに落ちる私です。おやすみなさい。
#夢と現実
最近、手帳術を勉強しています。
夢って子供のころはあるけど、大人になってからは現実しかなくて、夢を見るには遅いなと感じていました。でも、夢ってそんな大それたものじゃなくて、叶えられる範囲だって夢は夢なんだと教えてくれるのが手帳術です。
手帳術とは、年始に立てた目標や、ウィッシュリストに書いたたくさんの叶えたい事柄を実現するために、具体的な手段を考えて計画し、その通りに実行していくことです。
週末野心手帳とか、願いが現実になる未来手帳、願いを叶える手帳、夢を叶える人の手帳など、最近の手帳には小さな夢を叶えるためのワークが詰まったものもたくさん売っています。
少しずつ学んだ手帳術を始めてみましたが、私が単純なこともあって、最近毎日前向きに動けていると感じます。先日、目標にしていたものが1つ達成出来たのですが、そのときの満足感がたまらなくて、また次の目標にチャレンジしてみようかな?と思えました。
もともとADHDで後回しをしたくなる性格で、願ったことを現実にできず、計画性もなく、目標もなくただ生きている気がしていました。でも、手帳術をはじめて、日々の中の幸せを書き留めたり、自分と向き合ったりと、立ち止まって振り返り考える時間が出来たように思います。
流されるままだったのに、自分の足で立ち止まって現在位置を確認しながら歩いていくのは、今までより人生を味わってるなと感じます。
来年用に買った手帳は4冊。
その他にノートやらスマホのメモ機能やらを使って、2025年はいろいろな手帳術で夢を1個1個現実にして行きたいです。
#光と闇の狭間で
思春期って光と闇の狭間って気がします。
長かった小学校から解放されて、身体的には大人と変わらないし、勉強してない大人よりよほど計算も早いし、スマホも持たせてもらって世界が広がると、本当に万能感がある。
でも実際はまだ義務教育だから親は厳しいし、アルバイトも出来ないからすきなこともたくさんは出来なくて、鬱屈した気持ちを抱えている。
キラキラした世界に手が届きそうで届かない。
赤ちゃんが、視力が上がってきて色々なものに触りたいと思うのに、立てない、歩けない、親が危ないからダメって取り上げたときと同じで、イヤイヤしてしまうのも頷けます、
なんとか抜け道を見つけてお金を稼ごうと思うと、悪い大人から搾取されて一生を潰しかねない、なんていう深い闇も近くにあります。
大人が守ろうにも、思春期のときの大人は、自分のやりたいことを制限してくる枷に見えてしまうんですよね。
友人の話を聞きながら、そんなことを考えました。
#距離
距離と道のりという言葉があったはずなんですけど、道のりって使わない気がします。
目的地までどれくらい遠いか訊く時は、どれくらいの距離という言い方をしてしまいます。算数で教わったときは、
直線=距離
地図通り、道路通り=道のり
だったような気がするのですが、一般的にどれくらいの距離?と訊かれて直線距離答える人はそういないのではないでしょうか。
道のり、ちょっと不憫。
そもそも道のりは、算数では漢字の「道」と平仮名の「のり」で習ったのですが、実際は「道程」と書いて「みちのり」なんだそうです。しかし、高村光太郎さんの本のタイトルは「道程」と書いて「どうてい」。あんな有名な本のタイトルがそうなんだから、もう「道程」のこと「みちのり」って読みにくいじゃないですか。
道のり、ますます不憫!
テーマが距離のときに言うことではないですが、道のりという言葉がもっとこう、報われるといいな?と思います。