昨日と違う私。
風邪引いた。
風邪を引く前兆があって、喉が痛くて、あっこりゃ風邪引くなって。その日が週の半ばだったから。すぐに2日分年休を取って。それで家に帰ってきた。
翌朝、喉が痛いのが強くなってきて、ああやっぱりとか思った。
一瞬コロナかと思ったんだけど、熱はないし、普通の風邪だとその日は思った。
1日目の夕方、やがて夜だった。気管支炎の前兆がやって来た。吸引薬とかを吸ったけど、そんなの即効性があるわけない。寝静まった夜なのに、一人だけ終末感のある咳が何度も出る。見えない吐血でもするかのように、ぜんそくの咳をするたびに脳の血管が拡張されて頭痛の原因となっていく。夜眠れないのは当たり前。
明日も寝れるかな。
勢いでネトフリを登録して、罵倒村とトークサバイバーをみていた病的な年休の使い方。
空に溶ける水曜日。
なかったことにした木曜日。
すべてが光り輝く金曜日。
休息の日に当てる土曜日。
明日が来ることを恨む日曜日。
恨まれる月曜日。
煮込まれる火曜日。
火曜日の空は、記憶の海では夕暮れがよく上映される。
じっくりコトコト。空を煮込んで、弱火からトロ火に。火加減どう? って尋ねてる。
1日かけて煮込んで煮溶けて、あらゆる質と量が量的緩和。
空に溶ける水曜日。
そういえば、昨日の水曜日は冷え込んでいた。
誰かが火加減、しくじった。
どうしても…、ってわけでもないんだけど。
最近スマホゲームに時間を費やしている。ソシャゲではなく、買い切りアプリだ。たった800円あれば、Lv.999で裏ボスを倒す権利を購入することができる。
ソシャゲでは成し得ない少量課金、少量の時間。こう見ると、ソシャゲって化け物だと思う。数万円ガチャに費やして目当てのものが出ないで天井……化け物に食われっぱなしでいると思う。
30時間ほどこのアプリに費やしている。
ストーリー上のラスボスを倒し終え、今はレベルアップ中だ。ラスボス討伐時のLvは200位。ストーリー上では世界一のパーティということになっているが、世界に隠れるようにあるダンジョンや、巣食う雑魚敵、中ボスとかを相手取ると全然勝てない。裏ボスに至ってはLv.999まで上げて、さらにステータスのドーピングアイテムを最大限上げて、さらには運要素も必要と。エンドコンテンツってのはすごいなあと思う。
レベルアップの音がした。只今Lv780。
このゲームにおいては、ものすごく中途半端である。たしかに強いのは強いんだが、強敵からすると中間辺り。先ほど書いたように、ドーピングアイテムでステータスを上げないと太刀打ちできないダンジョンが三つほど転がっている。マジで勝てねぇ、ザコ敵強すぎ……。
ちなみに、ちょびっと課金して、経験値アップをしている。一戦闘あたり4〜5レベル上がるのだが、それでも子供のころから逸脱した年齢にあたり、「まだかよ…」ってなる。
この苦行、まだ終わらないのかよ。
レベル上げの段階が、一番めんどくさい。
スキップしたくなるこの時間。
まあ、どうしても、ってわけじゃないけど。
RPGの醍醐味がこの苦行も込みで、というのも分かるけど。飽きたら、ゲームじゃあないんだよなぁ。
まって。
一時停止を意味合いとする言語。
特に意味もなく使う。
または、急ブレーキをかける際に脳内伝達物質が弾けた火花が言語化した言葉。息も人生もつっかえていることが多い。
・まだ知らない世界
パチンコ、ボートレース、競馬なと。
この辺については、金持ちになる未来がないようなので、知らない世界のままになりそうだ。
でも、パチンカスになるには、お金の量より時間が有り余ってる方が始める条件となりやすいらしい。
ギャンブル系は一掬千金のイメージがつきやすいからか、お金を賭けてお金を増やすことに執着する。時間が有り余っていると、すべてに関して楽をしたいというわけだ。
賭けた時点では結果は不明確で、結果が確定した瞬間を共にするときにある種の成功体験・失敗経験を得るから、ドーパミンが多量に分泌される。
ディーラー主催のゲームだと、奇術師のような、客に気づかれないようにお金を落とす仕組みがあるようで、騙したり騙されたりと飄々としている。そういう雰囲気がある。
一方パチンコだと、数多の騒音で全部かき消す。
ゲーム特有の駆け引きの欠片もない。だから、のめり込むのだろうか。
・手放す勇気
手放す勇気が必要なものとして、スマホがあげられる。
デジタルデトックスというものがある。これは、デジタル機器から意識的に離れることで、普段デジタルに触ってばかりいる体の調子を整える働きがあるという。
いやいや、スマホから離れるとか無理だろ。
日常生活とか全部スマホに集約されてるんだぞ。今更離れられるわけが……
と、思ってしまうが、この場合の「離れる」とは一時的なもので、固定観念的に「永遠に辞める」という意味ではないのだ。
しかし、手放す勇気とは、手放す時点では永久的に触らないという勇気が試される。
覚悟のような、気持ちを固辞するというか。
そうしたものがないと、いつまで経ってもやめられない止まらない。この勇気はブレーキの意味合いがある。