22時17分

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1/4/2025, 6:16:02 AM

日の出の煮溶けたコーンクリームスープをいただく。
富士山の八合目あたりにある小屋で暖を取っている。
ドアを開ければ、山の雪化粧。マイナス何十℃の凍てつく息が頂部周辺を鋭く見廻りしている。
天然の化粧水も、この温度にはたまらず凍結せざるをえない。それのせいで、岩肌はアイスバーンになっており、数年前には滑落崖から滑って下山して肉体が大根おろしのようになった哀れな犠牲者が出てしまった。
それでも新年の登山客はご来光を見に、この小屋で宿泊をする。大半の者たちは夜明け前より小屋を出発して、すでにいない。
元旦から数日。それでも人は来る。数日経ってもめでたい正月だからだ。

賀正の、自然の静けさ。
日が昇り切る頃には登山客が戻って下山客になる。日の出がそうさせたように、目的意識がガラリと変わる。それがなんか、不思議だと思う。
それまでに味わうこの自家製の黄色いスープは、作った本人である主人からしても、そうでなくても、たまらなく美味しい味だ。
喉の奥と舌が鳴る。銀のスプーンが沈み、掬い取る。
日の出の色。

1/3/2025, 5:06:20 AM

今年の抱負。

とりあえず七月まではこのアプリのお題と向き合います。
で、七月でお題が一周、僕は一周年と成りますので、このアプリをすっぱりやめて、エタりかけの長編に向き合いたいと思います。
うおおーっ! 1年続いたぞぉぉー!
という達成感と喜びを胸に、1〜2カ月音信不通になるというご褒美が待っているわけです。

そういえば、アプリを削除したら、書いたやつって消えるんですかね。よく分かりません。
まあでもここで書いたやつは短編カフェとかいう小説サイトにコツコツ転載しているので、別にいいかという感じです。
シリーズとしてぶっ込んでるんですけど、1シリーズにつき100編入れられるんですけど、毎日こなしたと仮定したら、3シリーズ+65編という風になって、切りよく4シリーズにするためにはあと35編、余分に書く必要があるなぁなんて思ってるわけなんです。

思えば、このアプリのお題は、小説三割エッセイ五割その他二割の取り組みでした。
まあ、毎回のように小説を書くなんて土台無理な話でした。
半年経ったようですが、半年って長いよね〜。
お題サイトは他にも異様にあるんですが、毎日決まった時間になると出してくれるのって、ここくらいしかないから、どうしようかなぁなんて思っている正月です。

初めて書いたお題は「神様だけが知っている」だったので、神で始まり神で終わる、そんな神様に会いたい! という抱負です。

1/2/2025, 8:25:08 AM

新年、あけましておめでとうございます~。
本年度はヘビ年ということで、Twitterを見るとシラウオのような白いヘビがウニャウニャとイラスト音頭をとっていたり、去年は辰年でありましたから、実はその辰ってヘビの着ぐるみ姿だったのだ〜、というネタバレ感満載の風味を味わっておりました。

新年にいうべきではないかもしれませんが、本年度初めてやったことは、TVerで新春スペシャルをダラダラと見つつ、去年までのメモをまとめていました。
ストーリープロッターというアプリがありまして、それが全部で1300個のメモがあったので、よくわからないのですが、それを一覧表にしておこうとしましたところ、軽く挫折経験を味わうという、もうМじゃんそれ的な感じになりました。
でも1000は下回ったので、お休みなさいってしたいと思います。

12/31/2024, 1:31:58 PM

良いお年を。

2024って、テンキーで打った時、結構軽やかだったんだけど、2025になるとどうかな〜。
と、来年のことをいうと鬼が笑うので、良いお年を。

12/31/2024, 9:41:20 AM

1年間を振り返る。

去年の今頃は、契約社員からの正社員登用で、筆記試験やら面接やらが終わって合否が出た頃だ。
来年からは正社員か。
と実感がわかない。休んだ心持ちがない。
ミカンを食べても甘さが感じられない。みかんジュースを飲んでいるようだ。そんな、慌ただしい年末年始だった。

大学卒業後、
バイト歴が2.0年。
ニート歴が1.5年、
社会復帰に1.5年、
契約社員に2.0年。費やした。
そして正社員登用を経て、今年正社員1年が経過した。
冬季のボーナスで、まともな金額を見ると、誰かの言い方を借りれば努力が報われたような感じがした。

このアプリを始めたのは、2024.7月頃。
当時はお題に飢えていた。
毎日書くことができずにいた。
それはそうだ。社会人とはそういうものだ。
そんな固定観念に惑わされていた。
社会人特有の雰囲気や忙しさを感じて、まとまった時間が取れずにいた。
スキマ時間が隙間風に吹かれると寂しさが増すように、無駄な時間として切り詰められると途端に心のどこかが薄ら寒くなる。熱を持った何かを失うのが怖かった。

小説や文章というものは、数日かけて書くものだ、という固定観念を破壊してくれた。
毎日ひとつお題が提示される。
それって結構助かるものだと思った。
考えて、ネタを出すのが、まず手のかかる。
自分で書くものを見つけようとする。
すると、視界に限られる範囲内だったり、何か考えたあとの思考の断片をかき集めた何かだったりと、既成事実に囚われない事柄を書けない。
書けないと苦しい。どうして? そういう人なのだと思う。

書くタイミングは、いつも会社帰りの通勤電車だった。
おそらくこのアプリを知らなかったときは、いつもの電車に乗り、いつも変わらない夜の車窓を見、色のないモブキャラたちが押し込められた不快な空間のように見えていた。
でも、毎日書くにつれて、この人物たちが実はモブじゃなくて自分と同じような生物なのだ、と輪郭がはっきりした……ような気がした。

当たり前のことが分散されて再構築された。
生きている透明に包まれて、見えないものを見ようとする。そんなことはできないけれど、それでも、今まで信じてきた当たり前が当たり前なのかと疑問符を投げ、裁断し、本質の一部を削った微細な粉のような見えない何かを手に入れたい。
と、心のなかで定義するようになった。

2024/12/31。=令和六年。
あと六時間で今年が終わるけれど、来年もまた何かあるはずだ。それに備えて、この見えない粉のような何かと格闘したい。
見えないけど掴み取った。
この色は多分、金粉や銀粉なのだ。

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