意味がないことを見つけていくことを退屈と呼び、意味があることを見つけることを努力と呼ぶ。
あなたとわたし。
似ているようで、全然違う。
スマホを持って何か文字を叩き込む。
その動作は同じだけれど、その思い、その文字は全然違う。
ここで言う似ているとは、一体何だろう。
最初は人間として、と書こうとした。
けれど、そんな当たり前の答えで納得できるような人間じゃなかった。
もしかして、スマホの事を言っているのか。
スマホは、人間社会の道具として生まれたはずだ。
でも、今やネットに入り浸るためのデバイスとしての枠組みからはどうしようもなく外れていき、人工心肺装置のようになっている。
ベッドの上に眠っている人が誰であれ、人工心肺装置は空気を送り続ける存在。
生きていても死んでいても。
役割は変わらない。
死んだら外すだろう。でもそれは、口に装着していても意味がないから外すのだ。それは誰が決めている? 第三者、医者だ。患者自身は、自身の身体の裁量権を失って、他人に委託・譲渡している。
スマホの場合、何を送り続けている?
スマホをやめる権利は、誰に握られている?
わたしとあなた。
少なくとも、わたしのほうがわたし。
柔らかい雨のように、きめ細かい粒で構成されている。
避けることはできなかった。
自身の身体を縮こませるように、両腕でガードをした。
浮遊する水蒸気の塊。――襲ってくる!
霧隠れの中に閉ざされていた。
マイナスイオンのイメージ。
しかし、癒されてはならない。
相手からの水属性の攻撃であると認識しなければならない。
粒が細かすぎて、目視では見えないけれど、数メートルより先は見えない。
死闘の最中とも言えた。
相手の姿は見えないが「力を見極めてやる」というように、不意打ちに近い先制攻撃を仕掛けてきた。
肌を剥き出しにしていたら、あっという間にずぶ濡れになっていただろう。
その頃には、もう術中に嵌まっている。
勇者の子孫はカミナリ攻撃を主力としていた。
だが、その攻撃は封じられているといえよう。
術者の全身が濡れているときにカミナリ呪文を唱えたら、感電する。
仕方がないな……
勇者の子孫は滝のような汗の顔を拭った。
汗などかいていない。
霧の塊が纏わりすぎていて、水の膜が張られているようだった。呼吸が制限されている。苦しい。舌打ち。
湖の主に会いに行って、ブルーオーブを貰い受ける。
しかし、できるだろうか。一人で。
やれる。
オレがやらねば、散らばった仲間は浮かばれない。
生き残ってやる。
目の前の霧に影ができた。
人影。白い霧と黒い人影のアンバランス。
なるほど、そちらから出向いてくれるとは。
こちらとしては、手間が省けた……と、背中の大剣に手をかけ、ひゅんと素早く剣先を向けた。
一筋の光が、嘶くように弱く射し込んできた。
トンネルの内側からだった。
最初はマッチ棒に灯されたように、くぐもった弱い光。厚い布で包んだまま電球を付けたような弱さ。この弱さに温かみがある。
時間とともにその光は強まっていく。
懐中電灯かと思っていたら、それよりも強くなる光。
また、いつからか鳴っていた機械動力の反響音も増した。
トンネルの中から何かが出てきた。
光の正体は軽トラックのヘッドライトだった。
田舎の田園風景……の、ちょっとした凹みの地域。
小さな盆地。
陸の湖みたいに小さな山村。
そこに、一台の軽トラックは出た。
車体の色は白。一方で時間帯は夜。
それ故に薄っすら白いものが動いているだけ。
白いレースカーテンを包んだものが、山間を縫う道路に沿って走行している。
黒く塗りつぶされた東西南北に迫る山は森閑としており、肉に飢えた凶暴なイノシシが人里に降りてくるという。
軽トラックも、こんな夜更けに車を走らせたくなかったのだが、田舎の職人気質の男主人がハンドルを握るものだから、しょうがないと付き合っているのだろう。
夜なのに麦わら帽子。
涼しいのに濡れタオルを肩に抱く。
そろそろ年金ぐらしを始めたら良いが、当人はそのつもりなし。
しばらく走ると、誰もいないというのに、左のウインカーを律儀に出して、左折した。
車速は一気に静まり、どうやら田んぼのあぜ道を通っているようだ。
こちらに近づけば近づくほど、ガタガタと、軽トラックを揺らしている。未舗装道特有の、砂利と小石の上を走る姿。夜の闇を進む四輪駆動の黒いタイヤ。
黒い夜がいかに怖いのか、それらの音が真相の一端を垣間見させた。
車は目的の田んぼに最接近した。
照明代わりに、車のヘッドライトは付けっぱなし。
車から降りた。そして闇の中へと不用心に入っていく、
明日は嵐が来るという。
そのために来た。
その間、ヘッドライトは土地神たる案山子(語り部)を照らし出していた。
哀愁を誘うような手つきで、ポケットに手を突っ込んでやると、一枚の十円玉が入っていた。
どうして入っていたのか。
思い出す行為を、物は知らない。
ただ黙示録的にその場にいる。解釈は人によりけり。
昭和五十年、と記されている。
辛うじて読める程度の可読性。
もはや退廃したこの世のような、酸化して暗く澱んだ色合いをしており、深い。
哀愁に誘われた手は、この深い色に釣られたのだ。
手のひらに乗せ、指紋の色合いと較べた時にこう思った。
この硬貨はいつからポケットに入っていたのだろう。
黒い長ズボンである。
冬用の二重布の黒い長ズボンである。
スラックスというには、少々分厚い。
しかし、真冬日に着ていくにはかなり防寒性の低い布地である。
つまり、秋から冬にかけて履くようなズボンなのである。
数日前に適当な衣替えをして、タンスの奥から引っ張られた代物である。その時からこれが眠っていたのだろうか。
去年、洗ってから入れたんだけどなあ。
そうなると、洗濯機の激流に耐え、乾かされ、その後畳まれて丸一年放置され、今日発見された十円玉、ということになる。
その間、新紙幣が導入され、札束たちに書かれた歴史登場人物は入れ替わり立ち替わりを見せていた。
それなのに、この硬貨は身を固めて、じっと辛抱していた。
新紙幣になるということは、造幣局で発行された分、古い札束はこの世から消えていったことになる。
でも、硬貨に新たなデザインとか、そんなに無いような気がする。特に十円玉。
この十円玉のように、じっとしていたい通勤電車。
18:52。