22時17分

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11/6/2024, 9:52:27 AM

一筋の光が、嘶くように弱く射し込んできた。
トンネルの内側からだった。
最初はマッチ棒に灯されたように、くぐもった弱い光。厚い布で包んだまま電球を付けたような弱さ。この弱さに温かみがある。
時間とともにその光は強まっていく。
懐中電灯かと思っていたら、それよりも強くなる光。
また、いつからか鳴っていた機械動力の反響音も増した。

トンネルの中から何かが出てきた。
光の正体は軽トラックのヘッドライトだった。

田舎の田園風景……の、ちょっとした凹みの地域。
小さな盆地。
陸の湖みたいに小さな山村。
そこに、一台の軽トラックは出た。

車体の色は白。一方で時間帯は夜。
それ故に薄っすら白いものが動いているだけ。
白いレースカーテンを包んだものが、山間を縫う道路に沿って走行している。
黒く塗りつぶされた東西南北に迫る山は森閑としており、肉に飢えた凶暴なイノシシが人里に降りてくるという。
軽トラックも、こんな夜更けに車を走らせたくなかったのだが、田舎の職人気質の男主人がハンドルを握るものだから、しょうがないと付き合っているのだろう。
夜なのに麦わら帽子。
涼しいのに濡れタオルを肩に抱く。
そろそろ年金ぐらしを始めたら良いが、当人はそのつもりなし。

しばらく走ると、誰もいないというのに、左のウインカーを律儀に出して、左折した。
車速は一気に静まり、どうやら田んぼのあぜ道を通っているようだ。
こちらに近づけば近づくほど、ガタガタと、軽トラックを揺らしている。未舗装道特有の、砂利と小石の上を走る姿。夜の闇を進む四輪駆動の黒いタイヤ。
黒い夜がいかに怖いのか、それらの音が真相の一端を垣間見させた。

車は目的の田んぼに最接近した。
照明代わりに、車のヘッドライトは付けっぱなし。
車から降りた。そして闇の中へと不用心に入っていく、

明日は嵐が来るという。
そのために来た。
その間、ヘッドライトは土地神たる案山子(語り部)を照らし出していた。

11/5/2024, 9:52:58 AM

哀愁を誘うような手つきで、ポケットに手を突っ込んでやると、一枚の十円玉が入っていた。

どうして入っていたのか。
思い出す行為を、物は知らない。
ただ黙示録的にその場にいる。解釈は人によりけり。

昭和五十年、と記されている。
辛うじて読める程度の可読性。
もはや退廃したこの世のような、酸化して暗く澱んだ色合いをしており、深い。
哀愁に誘われた手は、この深い色に釣られたのだ。
手のひらに乗せ、指紋の色合いと較べた時にこう思った。

この硬貨はいつからポケットに入っていたのだろう。
黒い長ズボンである。
冬用の二重布の黒い長ズボンである。
スラックスというには、少々分厚い。
しかし、真冬日に着ていくにはかなり防寒性の低い布地である。
つまり、秋から冬にかけて履くようなズボンなのである。

数日前に適当な衣替えをして、タンスの奥から引っ張られた代物である。その時からこれが眠っていたのだろうか。
去年、洗ってから入れたんだけどなあ。
そうなると、洗濯機の激流に耐え、乾かされ、その後畳まれて丸一年放置され、今日発見された十円玉、ということになる。

その間、新紙幣が導入され、札束たちに書かれた歴史登場人物は入れ替わり立ち替わりを見せていた。
それなのに、この硬貨は身を固めて、じっと辛抱していた。

新紙幣になるということは、造幣局で発行された分、古い札束はこの世から消えていったことになる。
でも、硬貨に新たなデザインとか、そんなに無いような気がする。特に十円玉。

この十円玉のように、じっとしていたい通勤電車。
18:52。

11/4/2024, 9:48:53 AM

鏡の中の自分をみると、老いているなと感じられる。
そういえば、鏡を見てからじゃないと「老い」ってやつを感じないかもしれない。
鏡から連想していって、そういえばあの場面では、みたいに追想が始まる。

という時間があればいいんですが。
鏡の中の自分と認識する暇もなく、さっと見て、さっと家を出る。

11/3/2024, 9:05:46 AM

眠りにつく前に、眠剤を二錠飲む。
眠りにつく前に、スマホをいじる。
眠りにつく前に、スマホを辞める。
眠りにつく前に、横光利一の『機械』を読む。

……難解なものを読むと、よく眠れるんだこれが。

11/2/2024, 1:09:38 AM

「永遠に」をでかく考えると、
「果たして永遠とは存在するのか?」
などと考えるようになって、お題からズレてしまう。

ちっちゃいタイプの永遠について考えてみたい。

人間は永遠に憧れて発展してきたところがある。
永遠に生きてみたい。その考えによって寿命が延長され、長く生きられるようになった。
しかし、生きるというのは苦しみと寄り添うことである。
日本は物価高で、金銭的貧富の格差があり、時代とともにどうしても縮めようと試みても差は開くばかりだ。
思ったのは、人は「永遠」に取り憑かれているから、生きづらくなったのではないか。という、単純な思考的結論である。

これは頭の悪い子供に多く憧れがちだ。
長く生きたいと強くそれを望み、後世の人たちはそれに対して真剣に取り組んだ。
結果、時間的に長く生きられ、科学も発展して娯楽がたくさん生まれてきている。すべてを見ることは数十年前から無理だろう。
永遠に取り憑かれたから、余剰産物を生み出し続ける。これは、人間がそこにある限り続けられるもの。つまり「永遠」。

だから、未成年たちに皺寄せがいっているのだ。
未成年たちは、永遠に取り憑かれていないから、早く死にたいなどと言って、死にたくなって死ぬ。
そんなことを誰かが言うのである。
これが頭の悪い子供の単純な思考的論理である。

でも、未成年は別に永遠がどうとか考えたことはないと思う。永遠があってもなくても関係ない。
多分、永遠が当たり前に存在し過ぎていて、麻痺しているのだ。

まあ、つまり。
話は変わるけど。少子化対策って、子供がなるべく死なないようにするために、子供を大事にすることらしいけど、そんなこと、やってないよね。

ご存知の通り、人間社会は永遠を継続するために生きているのだから、少子化対策なんて「一時的なもの」するわけがないじゃないですか。
そんなの、子供たちがやってください。

そういうメッセージを受け取り続けている「あたりまえの永遠」にさっさと気づいてください。
子供たちに言ってるんですよ。

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