始まりはいつも定番ワード。
そこからどう自分の書き出す文章に持っていくかが肝要である。
最初に奇をてらったものを書いてはならない。
そう僕は思っている。
しかし、定番から定番へ。
紡いでいくと、読者はおろか、この文を書いている作者でさえつまんないと感じてしまう。
いかに曲線をかくか、ということになる。
それもひどい曲線。
ひどく回りくねったマウンテンロードを描く感覚である。上から観たら、「この辺とか道草しすぎてトンネルになってるじゃん」となっているのが逆に面白い。
所詮、ネットの端っこである。
矛盾など、回避しようとしていたら、筆が止まって止まって仕方がない。
法定速度を守りましょう。
へたっぴな道のりを描きましょう。
そして、そう。
車の行き先表示のカーナビ画面に従うくらいなら破壊して、そのまま崖から飛び降ります。
そこに海なんてない。水なんてない。急落すら味方につけて、そして閉幕。
それが定番から反れるためのハンドル捌き。
ストーリーテラー。
秋晴れが微かにトンネルの入り口に降り注ぎ、光が中に流れている。トンネルの道のりは百メートルほどあって、ゆるやかに右にカーブしている。出口はまだ見えない。
廃線跡を歩いている最中だった。
そろそろ秋の彩りが到来するだろう時期の山の中。
ツーリングの道の寄り道。小川から水が乾いた跡のような、ぽっかりと空いたスペースがそれだ。
その小道を一人行く。
今は、風が通り抜けるだけらしい。
去年の落ち葉が細かくなって地面に敷かれている。
一応足元には注意しつつ進んだ。
やがて、明治時代にたどり着いた。
名も捨てられたトンネルが佇んでいる。廃線を辿っているのだから、当然中へ入る。
カツン、カツン、と靴の音は聞こえないが、幻聴で聞こえるような趣がある。
地下鉄のホームで待っている時のような静けさ。そして暗さ。
暗室特有のじめじめと湿気があって、数日前に雨水の通り道になっていたかもしれない、と考える人。
スマホを起動して、即席の懐中電灯。
トンネルの壁面を照らしてみると、それらは全てレンガ造り。
トンネル内で走る、明治時代の電車を想像する。
電気ではない。石炭で走る豪快な古めかしさだ。
煙突から黒煙とともに機関車の叫び散らかす音。
想像通りの騒々しい。文明開化の音……。
すすを浴びきって放置されているので、レンガの一つ一つの色は暗く、すす色に褪せている。
触ってみた。触るのを後悔した。手が汚れる。
でも、パパンと拍手をすると、その音がどこまでも突き抜けるようだった。
いま、私は人の棄てたなかにいる。
照明一つもない。
線路も一本もない。
一人のみの来訪者。
歩く。歩く遺構。
現代から遠ざかる歩み。
足音は聞こえないのが良かった。
出口近くになると秋の陽光の色で、本来のレンガの色を取り戻しているのがわかった。本来の色は朱色のようだ。
振り向くのを後悔する。
ちょっとまだ、引き返したくない。
忘れたくても忘れられないこと。
日々の疲れ。
疲れを忘れたくて眠るのに、一日経ったらそれが蓄積される。
その不毛な繰り返しは、死ぬまで忘れられないのでしょう。
やわらかな光。
「やわらかな春の光を浴びて、私たちは卒業します」
という文言を、卒業式で聞いたことがある気がする。
もちろん保護者目線での話ではなく、卒業生の一員として、である。
「卒業生の言葉」というやつだったか?
正式名称は忘れた。
だが、卒業式での華形の一部であることは覚えている。卒業証書授与式のあと、卒業生起立! をしてから、何やら予め決められた文言を宣誓する。
ただし、すでに過去の記憶は褪色しており、肝心の「どこの卒業式」に該当するのか、定かでない。
小学六年生か、中学三年生か、高校三年生か……。
高校ではなかったと思われる。
だって、高校の卒業式では、予行演習などというモノは一切なかった。ぶっつけ本番。そのへんのいい加減さが大人になりつつある年齢の中途であるといえる。
だから、あの文言を聞いたのは、小中のどちらか一方だ。
聞いたことがある、と、どこか第三者目線の語り口から察せられる通り、僕は聞いたことがあるだけのモブに過ぎない。
(全員)と書かれているセリフだけを読む構成員である。
しかし、あれの中にあるセリフ決めは、無作為なのだろうか。ちょっとだけ気になる。やはり演劇部が選ばれる可能性が高いのだろうか。
あるいは、肺活量の凄まじい生徒が選ばれるのか?
それにしては、声の小さい生徒がちらほらといたような、いないような。
一人舞台みたいなものだから、喋ることのできる英雄の選定には、何かしら法則性があるのだろう。
その辺に対して、まあ、どうでも良いと思ってしまって、結局冒頭部分だけ覚えてしまっているわけだが。
この言葉は、祇園精舎の鐘の音、みたいなもので、僕の頭はいつまでも覚えているつもりだろう。
こんなアプリに書いたのだから、そろそろ忘れてもいい頃合いだ。
しかし、卒業証書をきっぱり捨てられず取っておくように、「やわらかな春の光」という表現もまた、時間経過とともに味わい深くなるな、と。
そんな鋭い眼差しで見ないでくれ。
状況はわかってるつもりだ。
どうやら、渋谷駅の野郎が「ヘマ」をやらかしたらしいな。自転車の立ち往生がどうのこうのって?
え、実際は違う?
しかしな、今は正確な情報など手に入りづらい状態なんだ。
ご存知の通り、スマホを開こうにもそうできるほどの隙間がない。
スマホがあるのにしぶとくラジオが生き残ってるのは、コレが理由かもしれないな。
情報を手に入れる唯一の方法は、現在乗っている車両の車掌のアナウンスのみ。それが、
「状況を確認次第お伝えします」
その連呼ときている。頼りにならない。
足りない。圧倒的に情報が足りない。
まあ、どんな原因であっても埼京線の野郎が止まっちまったのがいけないんだ。
埼京線に乗り込むはずの人数が、こちらにしわ寄せしにきて、それでこの混み具合っと。
ひとまず俺たちの状況を整理しよう。
日が落ちた夜7時半。
無事一日を終えた会社員たちでごった返す、帰りの満員電車。7号車。山手線。
ここまではいいな。
いつもなら、混雑率120%といったところだろう。
ドアの目の前はぎゅうぎゅう詰めだが、車内の中ほどはいくらか空いている。おしくらまんじゅう、押されて泣くな。それを車内でしても別に泣くほどのものでもないだろう。
朝の死闘に比べたら、だいぶマシ。
そう、平常時であれば、な。
今は朝の死闘を再現されている。
混雑率は180%くらいはあるんじゃないか?
わからないが、非常にすし詰めとなっている。
パーソナルスペースがない。
四面楚歌よりも逃げ場なし、というわけだ。
そんな脳内で架空の人物と脳内対話をして気を紛らわしていると、U駅に止まった。
通常なら乗降者数は数人レベルで、ドア周りの人の交換程度なのだが――ぐぉ!
し、失礼……。
変な声を出してしまった。
くっ。や、やるな。
あまりにも優秀なボディブローを腹に喰らってな。
不覚だが、ガード代わりのカバンは足元に下ろしてしまっている。
というか、まだ入るの?
まだ入るの?
え?え?え?
ちょっ……。
ちょっ、ちょっと……こらっ!
ホームで乗り込んでくるサラリーマン!
オメーだ、オメー!
「ったくしょーがねーな。俺のスペースねぇーじゃねーか。しかたねーな、ちょっと本気を出すか……」
出すな出すな! 本気を出すな!
もう絶対はみ出てるだろ!
ホームドア内にいるだろうからって、「まだ入るだろ」みたいなことをするなっ!
それを、ひと駅ごとにするな!
ケーキの断面からクリーム出てるって!
もう入んないんだって! そのくらい分かれよ!
「あっ痛」
というマダムの声が目の前から聞こえた。
本当に痛いときでなければ言わないセリフだ。
それを見受け、……ドア前のサラリーマンは全然懲りない。
だ・か・ら!
おしりで!
無理やり押し込もうとするなぁーー!
あまりにも強い乗車意識により、僕は形容しがたい圧力を感じた。
積み残しになりたくない、という強い心を感じとった。
今乗らなければならない。
昼間であればわかる。
デッドラインにいるということだ。
わかる、わかる、けど……
もう無理だ。強制的な撤退だ。
上から垂れた、船のいかりのようなつり革を放してしまった。僕は漂流せざるを得ない。
手を挙げたまま、車両の中ほどで宙ぶらりん状態。
ちょうどつり革が設置されていない場所。
暗黒の群衆のなかで突っ立っている。
身体全体に200%の乗客率を感じる。
体感は250%。それ以上はあるだろう。
この中でスマホを落としたりでもしたら、と思うとゾッとする。人を、暗闇だと思え。
画面操作を諦めて、握りしめるように手を変え……ようとするが、それすらもできないレベルだ。
かろうじて、画面に指を滑らせて、(あとで書く)を書いた。昨日のお題を書いていたのに、場の悪い冗談だ……