〈メッセージ〉
遠くの声を、言葉を聞いてみたい。
今はスマホがあるから、どんなに離れてたって、簡単に相手に思いを伝えられる。
とても便利だけど、なんだかそれがとても寂しい事のように感じて仕方がない。
昔は勿論スマホなんてないから手紙を送ったりしていたのだろう。手紙はとっても好き。今の時代に急に書けって言われると思いつかないし面倒くさく感じるけど、昔はきっと溜め込んでいた想いを一気に書き出して送っていたのだろう。1文字1文字に思いを込めて。そんな文が届いたら、どんなに嬉しかったのだろう。想像もつかない。
スマホが悪いと言いたいわけじゃない。
思いを伝えるのが容易になりすぎたのが嫌なのだ。
画面の向こう側は本心か、はたまたお世辞かの見分けがつかないし、自分をさらけ出せる場では当然無い。
もう自分が認めて欲しいのか、本心を見つけて欲しいのか、何がしたいのかわからなくなる。
本当の気持ちを知って欲しい。
人の奥底に眠ってしまった遠くの声を聞きたい。
(遠くの声)
〈何者かへの依存〉
新しい本を買ったとき宝の地図を手に入れた気分になる。
たとえつまらない日常生活から向け出せなくても、本さえあれば私は、何にだってなれるし、何処へにでも行ける。
本を読む時、自分視点の人物の姿・形が明かされていない時は自分の理想の姿とか、普通に自分を当てはめて、何者かになった気分で読む。
それはきっと何かになりたい、どこかへ行きたい自分の心が現れている証拠だと思う。
私はまだ学生だから、社会のルールだとか、社会の厳しさなんてものはまだ理解しきれていないし現実を見れていないと思う。
だからこそ、何者かになってみたいし、大人になったら沢山旅したい、なんて思う。
実際は何者かになれる人なんてほんとひと握りで、将来はデスクでPCと睨めっこをして、お金が有り余る訳でも無く、休日は家に引きこもるのだろう。
そんな未来が見えているし、今が楽しい訳でもない。
だから私は、今日も本の世界に依存する。
(新しい地図)
〈散ってゆく桜人〉
あの人は死んだ。
皮肉なほど綺麗に咲き誇る桜にそう言われた気がした。いつまでも宙に浮いている私に、現実を見ろと言わんばかりに。
あの人は桜が好きだった。
好きな人の好きな物は不思議と興味が湧いてしまうもので、いつの間にか私も、桜が好きになっていた。
だから今でも、桜を見ると貴方を思い出してしまう。
「今日ね、桜が綺麗に咲いてたよ今年も行こうよ、花見」
私しかいない部屋に散った言葉が沈黙に沈んでゆく。
風に吹かれて散った花弁が泥水に落ちるように。
そうだった。もう、居ないんだった。
癖で発してしまった言葉に、勝手に落ち込む。
本当にいなくなってしまったの?
何処にいるの?
本当はどこかで生きているような気がしてならない。
あの人が死んだなんて、嘘でしょう?
現実を受け入れられない訳では無い。実感が湧かない。
今日も玄関の鍵が空いて、ただいま、おかえり、って言うのかな、って、思ってしまうくらいには。
だって、3日前は、
ずっと一緒にいようねって、笑いあっていたじゃない。
今年の花見はどこにしようって話していたじゃない。
3日前と今日を隔てるものは何?
確かにここは貴方が生きた世界で、一緒に笑いあった場所にかわりはなくて。
それなのに、もう、貴方はいない。
私もいつか忘れてしまうのかな、貴方の顔、香り、声、癖、話し方。
それが怖くて、それだけが怖くて、執着するように毎日貴方を思い出してしまう。
いつか薄れてしまうだろう貴方との記憶は、皮肉にもあの桜の木で思い出すのだろう。
今、私の目の前であなたが居ないことを教えてくるこの桜の木で。
(桜)
〈解って〉
手を繋げば分かるから、なんてどこかで耳にしたけど何言ってるの、分かるわけないじゃん、手を繋いだだけで。
というか、勝手にわかった気にならないで欲しい。
理解しているように振舞ったり寄り添われるの、
ほんと嫌い。
そんなこと思うのは歪んでしまった人間かもしれない。
手を繋げばわかるから、って最初に言ったのはきっとこういう人間とはかけ離れた素敵な人だったのだろう。
どうやったら分かり合えるのだろう
...手を繋げば解るかな
(手を繋いで)
〈ガラス玉〉
透明な世界にいたようだった。
それは決して美しい物への比喩表現ではなくて、
辛くてだるいだけの朝のことなのだけれど、
それでもそんな朝に楽しさを見出そうとして自分の通学路を他人事のように見つめてみた朝のことなのだけれど、
ずっと見ていると見慣れた光景ですら綺麗に見えてくる。
田んぼと、小さな住宅街と、挨拶さえも返してくれた事がないご近所さん。流行りの物も売っていないしオシャレなカフェもない憧れが憧れで終わってしまうここが、
大嫌いなはずなのに。
もしかしたら学校が憂鬱過ぎてこの光景が綺麗に見えすぎているのかもしれない、なんて思いながら重すぎる足を引き摺って歩く。
でも透明な世界にいるだけで、私は何かから逃げ出せるような、嫌いな日常から抜け出せるような気がした。
普段は見流してしまう小道とか、よく使う散歩の道を、
もし学校に行かないでここから遠くまで行ったのなら、
どんな景色が見られるだろうか、その時はどう言い訳しようか、なんて思いながら見るだけ。
それはガラス玉を太陽に透かすような、スノードームを覗き込むような感覚かもしれない。
そんなことをしながらつまらない私はまた、学校の門をくぐってしまう。
(透明)