彼に抱いていた感情は、一体何だったんだろう。
恋か、愛か、それとも別の何かか。
今でも解らない。もう会わなくなった今、この先解ることは無いように思う。
それは、思い出になっているから。季節が巡っても時間は止まったままの今、何も動き出さない今、おそらく解ることは無いだろう。
「恋か、愛か、それとも」
「傘忘れたの?入っていくか?」
「え…いいの?」
「駅、一緒だよな?いいよ。」
「ありがとう。でも、彼女に悪いよね。」
「今日あいつ委員会あるから。気にしないでいいよ、心の広いヤツだから(笑)」
「じゃあ、お言葉に甘えて…よろしくね。」
初めての相合傘。こんなに近くにいるのは初めてだ。
胸の内、悟られませんように。私だけの秘密。
懐かしい、昔の思い出。
途中で晴れ間が差してきて、雨上がりの道を一緒に歩いた。
今頃、彼はどうしているだろう。
「傘の中の秘密」
昔から、「勝ち組」「負け組」という言い方がある。
これが分からない。何をどうしたら、勝ち負けが決定するのだろう。
プライベートでも、仕事でも、こうなったら勝ち、こうなったら負け、というのがあるのだろうか。
勝ち負けを言うのは、競技においての結果だろう。試合で勝った、負けた、これなら分かるが、他の事で「組」がつくのには、一体どんな理由がある?
たとえば、結婚。おめでたい出来事だが、それを勝ち組というのであれば、じゃあもし離婚したら、それは負け組に変わるのだろうか、と思ったことがあった。まぁ、独り身の僻みといえば、それまでなのだろうけど。
仕事の昇進。出世。特に男性にとって喜ばしい、まさに「勝ち組」の典型的な例だと思うが、そこから進んでいくには、相当な責任感とモチベーションを持続させなければならないだろう。
昔、「現実逃避」がテーマの時にも書いたが、とある精神科医のエッセイの中で、こんなことが書いてあった。
「私の診察室には、いわゆる勝ち組と呼ばれる人達が来ます。勝ち組でいることは疲れるのだそうです。」
こんな一節。人間だから、疲れ果てることも心が置いてけぼりになることもある。それこそ、勝ち組なんてどうでもいいくらいに。
何においても、勝ち組負け組なんて分けなくて良いと思う。そこに縛られて生きる方が、人生損している気がする。
「勝ち負けなんて」
♪ささの葉 さらさら のきばに揺れる…
七夕はまだ先だけど、この童謡を思い出した。
今年は、何か願うことがあるかな?
「さらさら」
昔は、運転中に曲をかけてよく歌っていた。
仕事帰り、歌を歌いたいがために、遠回りして、車の通りが少ない道路を走った。時々コンビニで缶コーヒーを買って、お供にしていた。
好きな曲をかけて、ドライブしながら歌って…。
カラオケにもそれなりに行ったけれど、やはり一人でのびのびと歌える、車の方が気楽だった。
「歌」