昔から、自己肯定感が低く、逆に自己否定感が
根付いている。
優越感とは、他者より自分の方がすぐれている、と
思うことだという。
とんでもない、自分のしたことに自信など無い、
「私なんか」が常套句だ。
なぜ他者より自分の方がすぐれていると、そんな事
思えるんだろう。よほど自信があるのだろうか。
仕事で、「自分のした事はこんな程度なのか」と
自己嫌悪に苛まれた時期があった。
「他の人は、そういうやり方で出来るのに、自分はそれに気づかない」と落ち込んでいた。
相手は先輩なんだから、比べるのもおこがましいの
だけど、彼女の完成したものを羨ましく思っていた。
気づいていなかったけれど、これって劣等感なんだ
よな。
日頃から、「人それぞれ」と思っているわりには、
逆の事を考えている、明らかに矛盾だ。
「私なんか」は、自分を苦しめるだけ。なのに、
自分の中からは消えない。
まぁでも、全体的にみると、自己肯定感は低いまま
だけど、年月とともに、自己否定感は、少しやわらいできたように感じる。
自分をいたわるようになったという事だろうか。
先の事は分からないけれど、もし優越感を感じる
事があるとしたら、それは自惚れるよりも、自信が
ついた、として感じたい。
そして、人と比べて自分の方が劣っている、と思う
事があっても、ほどほどにした方が良いのだろうな
と、自分を楽にしてあげられますように。
「優越感、劣等感」
これまでずっと、あなたのことを考えていました。
でもこれからは、あなたのことは考えません。
これからずっと、考えないようにします。
新しい一歩を踏み出します。
さよなら。いつもそばにいたあなたへ。
「これまでずっと」
その1件のLINEで、
どれほど幸せになったことか。
送らなかったあなたには分からないことでしょう。
「1件のLINE」
「渡したいものがあるから」と彼は言った。
だから会おう、ということだった。
目が覚めると、そこは自分の部屋だった。
それは、実際に言われたことがある。
なので、何だか懐かしい気分になった。
ただ、そこで目が覚めたので、
渡したいものは何だったのか分からない。
多分、ものより、「渡したい」と言われたことの方が印象が強かったのだろう。
今朝の夢の話。いや、本当に。タイムリーだ。
にしても、渡したいものって何だったのかなぁ。
「目が覚めると」
私の当たり前…お礼と謝罪かな。
人に何かしてもらったら「ありがとう」。
人に迷惑をかけてしまったら「ごめんなさい」。
この二つは必須だと思っている。
「助かりました」「すみません」いろいろな言い方
があるけれど、こういうの、大事だと思う。
あと、返事もそうだな。あいさつも大切か。
何か、いろいろあるな(笑)。
まあ、人としての基本的なところだな。相手と
良い関係を築くのに、大切なことだと思うもの。
「私の当たり前」