世界が平和でありますように。
…という願いは、簡単には叶わない。
今ある、(一応の)平穏な暮らしは、
どの国にもある、侵略や戦争で散っていった
人々の犠牲の上に成り立っている。
その歴史は、どのくらい年月が経っても、
消えたりはしない。
今、遠くの国が、一方的に侵略を行い、攻撃
された国は、長い戦いを強いられている。
病院が爆撃を受け、母親は助かったが、
生後2ヶ月の赤ん坊は駄目だった、という
ニュースを見たときは、思わず顔が歪んだ。
ただ、自国のぬるま湯のような安全に浸かって
いるうちは、世界平和をもちろん望んでいる
けれど、それを軽々しい調子で言ってはいけない
のだと思うのだ。
「愛と平和」
私の中にひとつ、後悔が息づいている。
もうどうにもならないことなのに、
それは、今でも鮮やかだ。
あの時、どうしてあんなことをしたのか…と
悔やんでいても、それは、いつまでも過去に
ならない。
過ぎていく日々の中で、「今日」は「昨日」に、
なっていくのに、そうならずに現在形のままだ。
おそらく、それに明日は来ない。
もう、消えない。
それでもいつか、長い時間が経って、思い出と
変わってくれるのだとしたら、
必ず、過ぎ去った日々の中に閉じ込める。
もうため息をつかなくてもいいように。
「過ぎ去った日々」
お金は確かに大事。物が買えるし、生活も
できる。
それより大事なものは、というと、なら、お金で
買えないものはどうだろう?と考えた。
「心」は、どうだろうか。
愛とか恋とか信頼とか共感とか、みんな心が
原点なのではないか、と。
生きていくうえでも大切だ。一度、心が壊れた
身としては、ここが健康なことが、どれだけ
幸せか、痛いくらい理解した。
優しさも悲しさも怖さも感じるのは、心だ。
綺麗事なのかもしれないけれど、私は心を
大切に思いたい。
「お金より大事なもの」
昨日、運転中に、空に丸い月が浮かんで
いるのが見えた。
そして今日も、丸い月が浮かんでいるのを
見た。
太陽の日差しがいろいろあるように、
月も、いくつかの顔を持っている。
夜空に浮かぶ、金色の月。
昼間に見える時は白く。
三日月は、綺麗な孤を描いて。
黒のグラデーションの空に浮かぶ様は、
しばらく目を離せないほど綺麗だ。
月夜というと、何となく秋の夜空を
思い出すのだけれど、
初春の月も、いいものだな、と思った。
「月夜」
人と人との断つことのできない繋がり。
離れ難い結びつき。
絆とは、そういうものを言うらしい。
今は、固い絆で結ばれていると思う人は
残念ながら、いない。
友人でも恋人でも、そう思える人がいるのは
きっと大事で素敵なことだ。
「絆」