あの日勇気を出して海に飛び込めなかったこと、素直に話を聞けなかったこと。
後悔というものは往々にして「やらなかったこと」に対してついて回るものである。
変に意地を張ってしまったり、臆病な自分が顔を出したり原因は色々あるが、それは後に必ずと言っていい程心に凝りが残るものだ。
もし海に飛び込めていたら、後から人生の宝箱エピソードの一つになっていたかもしれない。
もし素直に話を聞けていたなら、亡くなった祖父のエピソード話の一つとして花を咲かせられたかもしれない。
その時うまくできなくても何かしら人生に彩りを添えられるというもので。
余程倫理に反しているもので無ければとりあえず何事もやってみた方がいい。
これが私のン十年生きてきた人生観の一つである。
好きなレターセットを選ぶ時はお花柄だったり、蝶々などのモチーフだったりする。
個人的にはあまりキャラクター物は好まなくて、なるべくシンプルに可愛いものが良い。
お手紙をいただく時も同じで、それが自分の好みの柄だと開封の時にいつもよりもワクワク度が高い気がする。
コラージュの時にもお花や蝶々のシールはアクセントになったり、綺麗を散りばめたりするのにとても便利だ。
文房具屋で蝶よ花よとレターセットを選んでいる人がいたら、それはもしかしたら私かもしれない。
人生は選択の連続だ、と誰かが言っていたのを今も鮮明に覚えている。
よほど倫理的に道徳的に道の外れたもので無ければ、その選択はどれもが間違いで、どれもが正解で。
自分で選んだものが実は最初から決まっていたものだとしても、後で振り返った時に「それで良かった」と思えるような生き方をしたい。
どうも占いによると日曜日に産まれた私は太陽っぽい人間らしい。
そもそも太陽っぽい人間って何やねん。
眩しい、元気、明るい、暑苦しい、うるさい。
ちょっと連想してみたものの、自分の目指している理想像とは程遠いもので。
クール、冷静沈着、落ち着いている、穏やか。
恐らく私とは生涯相容れないキーワードだろう。
人は自分に無い要素に憧れを抱く生き物だ。
今の私が正にそう。
太陽は太陽なりに良い所があるのだから自信を持ちなさいと言われても、暑苦しいものは暑苦しいのだ。
そんな部分を好きになれと言われても、それはまるでアレルギーのようなもの。無理に喰らうと命に関わるレベルで拒否反応が出る。
だから私は太陽は苦手だ。
しかし苦手なりに共存するしかない、半ば諦めにも似た感覚を抱く。
自分の中のアレルギーにも似たそれを抱えて、死なない程度に今日も生きる。
真白い鳩が勢いよく飛んでゆく。
地面を震わす大きな鐘の音。
平和に祈りを捧げる数多の人。
そこはかつて全てを奪われた土地。
そこはかつて一瞬にして地獄を生み出した痕。
平和を形作るその礎には必ず誰かの命が踏みつけられている。
わたくしたちはそのことをこれからもゆめゆめわすれてはならないのです。