「上手くいく人の考え方」みたいな本を見かける度に、「やっぱりみんな上手くいきたいんだ」と思う。
この願望は過程より結果が大事で、なによりはやくそれを得たい表れのようにみえるがその実、逆なのではないか。
終わりよければすべてよし、ではないのだ。最初のスタートダッシュから、その走り方、着地まですべての過程で痛い目にあいたくない。過程までもが大事なのだ。
上手くいかなくたっていい、結果ばかりの人になるな、途中の道で得たものに目を向けろ。
わかっている。この考え方はいつか得るかもしれない結果にとっても、心身の健康のためにも大事なことは。
しかし、上手くいかないことを酷く気にしてしまう私はやはり、それは一度でも上手くいけたから気づけたことなのではないかと自分で自分を疑ってしまう。
我々上手くいきたい、いや、上手くいかないことが怖い民たちは、最初からなんやかんやうまくいってる人がやっぱり恐ろしいほど羨ましくて仕方ない!!!
我々が持つものなんて、要領が良い彼ら貴方達なら同じことを当たり前に効率よく、スピード良く、ポジティブな形で身につけるに違いないや。
自分だって、出来なくはなくても任されると心配になる。
上手くいかない自分にかかった呪いの解き方ってやつだ。
我々はこれに何年もの月日を費やすし、なんなら雁字搦めの解けない呪いに諦めて、いっそ抱えたままなんとか進み続けることを選んで、痛みを軽くしようとしながら歩いていることもあるんだ。
【上手くいかなくたっていい】
人は見かけによらぬ、とはよく言ったものである。
彼女は「人の汚いところなんて知りませんわ」といったように振る舞うものだから、さぞ自然に、当たり前のように守られてきたに違いないと僕は思い込んでいた。
「誰が助けてあげたと思っているの」
植物園で当番の水やり(彼女に押し付けられた)をしながら不満垂れる僕の邪魔をするように話し続ける。
「蝶よ花よ、ね。大事にされてきたのは確かね。私自身も私が一等大切にしているわ」
この花と違ってこの世でたった一人だもの、と微笑む。薔薇と喧嘩したちいさな王子さまと出会ったのが彼女ではなく、うわばみでよかった、なんて考える。
「でも、可愛らしい蝶や花のままじゃ子どもの手でも潰せるわ」
遠目で見たときに感じた、あの陽だまりのような気配はない。食虫植物や蜘蛛を見た時のような、とにかく落ち着かない緊張がじりりと胸にうまれる。
飛び続けなきゃ蜜にもありつけないし、咲かなきゃ手折られるだけよ。
「温室育ちはどちらかしらね」
慈しまれて育てられた生命が、美しいだけで終わるわけがなかったのだ。
蝶のように舞い、蜂のように刺す。薔薇に棘あり。
長いまつ毛がこちらを刺すように向く彼女の目をみて、そんな言葉もあったことを思い出した。
【蝶よ花よ】
最初から決まっていたなら、そしてそれを教えてくれていればどんなにいいかと思うことが人生には何度かある。
既にわかっているなんてつまらない! 悩んでこその人生! なんて考えない。わからないから恐れるのだ。受験に落ちたら? 就職が上手くいかなかったら? どれだけ頑張ったところで先の見えないことには変わりない。
私はいつか死ぬ。それだけは決まっていることだ。命が終わること自体は怖くはない。避けようのないことで、この時は平等に訪れるものだからだ。
しかし、どのようなかたちで、つまり死因はわからないので今からもう怖くて仕方が無い。私は不安症なのだ。
わざわざ怪談話など聞かずとも、老人が運転する猛スピードの車に跳ねられたら、変質者に襲われたら、ホームで背中を押されたら、なんてことを考えて一人ぞっとしている。
【最初から決まっていた】
太陽をお日様って呼べるくらいの暖かさで照らして欲しい夏
【太陽】
まだここにいたい、鳴らないでくれ、と願った鐘の音。
今では、はやく帰りたい、鳴るのを心待ちにしている。
【鐘の音】