「バイバイ」「さようなら」
2つとも、別れのときの挨拶の言葉なのに不思議なことにさようならの方が悲しく聞こえるのは私だけだろうか。
私のなかで、さようならは永遠の別れのときに使われるイメージが強い。実際、3月や1月が近づくたびに見る機会の多い震災関係の記事で親しい人との別れに関する記事は「さようなら 永遠の別れ」という題名のものが多い。國學院大學の日本語教育学の先生によると、バイバイは改まった場面では使いにくい言葉だそうだ。だからこそ、バイバイはまたどこかで会えるだろう人に対しての別れの挨拶というイメージが定着していったのだろう。
家にいても、旅にいっているような感覚を提供できるどころか自分が別世界に入り込んだような環境を提供できる作家さんはすごい。
毎日、就寝前に本を読むことにしている。それをしているときは自分が生きている世界は虚像のものだと思えてくる。しかし、本を閉じて眠りにつき仕事をする現実は変わることはない。
別の人生や、世界を体感する旅に再び出掛けたときは仕事であった出来事や人間関係を無にして楽しむことができる。一度、本を閉じてその世界から退出してもずっとその世界にいた気分になれる。だから、書籍とくに小説こそ旅の途中という題名にふさわしいのではないだろうか。
自分には、この世に生を受けてからずっとともに歩んできた持病がある。その名は、「ADHD」と「ASD」だ。いわゆる、発達障害である。ともに、人生を歩み始めてから27年 診断を受けてから3年。これだけ、長い間も一緒にいるのに未だに自分の特性を理解できていない。生活のなかで、障害のせいなのかただ自分が苦手としているのかどっちなんだろうと悩むこともある。それを、今度の通院のときに先生に尋ねることにしよう。少しでも、君のことを知りたいから。
来年から、アメリカへと旅立つ佐々木朗希。
知る人ぞ知る話だが、彼は小学生の頃にロッテ
の本拠地であるZOZOマリンスタジアムへプレイ
している。被災地の子ども達に元気を与える取
り組みをしている千葉在住の男性の働きかけで
陸前高田を含む被災地の野球少年たちを招待し
たのだ。数年後、その機会を与えてくれた千葉
ロッテへの入団を果たす。それだけでもすごい
事なのに、彼はZOZOマリンスタジアムへ完全
試合を達成した。そんな彼が、マイナーからの
挑戦とはいえ野球の本場であるアメリカの球団
へ入団するとは誰も想像していなかっただろ
う。これからも、佐々木朗希の輝かしいキャリ
アは終わらない。いや、これからがスタート
だ。
嫌なことがあった日、眠る前に寝ているときに死にたいと思うことがある。ただ、寝ているときに心筋梗塞や脳卒中になることなく今日まで無事に過ごせた。そうなると、本当に瞳を閉じるとき自分の人生が終わる瞬間に生きていてよかったと思える人生を過ごしたい。