テーマ:『夢を見てたい』
平日の午後3時。学校が振り替え休日だったのでカフェで友人と二人で駄弁っていた。
店内はアンティーク調の家具と猫をモチーフにした雑貨がそこかしこに置かれている。厨房で機械の音が響くたび、コーヒーの華やかな香りがふわっと私を包みこむ。
いいとこ見つけたねと言うと、そうでしょうと返された。ここ、私が行こうって言ったんですけど。
「それにしてもすごいよね。この、非日常感っていうの? もうほんとに絵本の中みたい」
彼女はそう言いながらスマホでひっきりなしに店内の写真を撮っている。他のお客さんに迷惑だよと言おうとしたところで、店には客が私達以外いないことに気がついた。
こんなにいいお店なのに、もしかして穴場すぎたのかな。確かに探し出すのにとても苦労はしたけど。
私達のテーブルには砂時計が置いてあった。赤い木枠で木目の黒がよく映える。その内側に秘められたガラスには、まるで彗星を砕いたかのような、深い輝きを帯びた砂が静かに瞬いていた。
触れることが躊躇われる代物であったが、私はどうしてもこの砂が落ちるところが見たいと思った。
私はその砂時計をそっと持ち上げ、ゆっくりと逆さに返し、音を鳴らさぬよう慎重に置いた。
ため息が出るほど美しかった。砂は儚い光となって流れ、落ちていく。そのさまは夜空を駆ける流星のようで、流れ落ちた先で砂同士が衝突し弾けるところなんてまさに星のそれであった。
キラキラと音が聞こえるようだ。私はすっかり心を奪われていた。
あっという間に、もうすぐ全ての砂が落ちてしまう。砂時計なのだからそれなりの時間は経ったはずなのに、本当に短い間だったように思う。
最後のひと粒が、きらりと輝いては流れ落ちていった。
気がつくと、私は駅前の広場で立ち尽くしていた。
昼どきの駅の周りは人々がゆったりとした足取りで行き交っていた。冬の冷たい風が運ぶ空気は、お世辞にも澄んでいるとは言えない。
呆然とする私の背後から友人の声がする。私の名前を呼んでいる。
「ごめんね待った? 気がついたら待ち合わせ時間ギリギリでさ。ほんとごめん」
そうだ。今日は学校が休みだから彼女と遊ぶ約束をしていたのだ。約束そのものを忘れていたのに待ち合わせ場所にはちゃんと居るなんて、私はどうかしてしまったのだろうか。
全然待ってないよと言って、行くあても無く二人で歩き出した。そのときふと思い出した。なんだかとても良い夢を見たはずだと。
それがいつみた夢なのかは分からない。今朝かもしれないし、ずっと昔かもしれない。でも、とても美しい夢だったように思う。
どんな内容だったかは全く覚えていないが、もう一度みてみたい夢だ。
空を仰ぐと、水彩画のような青が遥か遠くに展開している。一瞬。何かが光ったように錯覚した。あの光を私は知っているはずだ。
あぁ、夢をみていたいな。
テーマ:『ずっとこのまま』
雲ひとつない青空の下。丸々とした鳩たちが日向で首をすくめて寄り添っている。
鼻から息をを吸い込めば、冷たい空気がツンと刺激する。その空気を溜め息混じりに吐き出せば、白い塊となって沈んでいった。
もう一度試してみるか。
何度目の挑戦なのだろう。分かるはずがない。どうせ最初から数えてなんかいない。
今度はさっきよりも大きく深呼吸をして心を落ち着かせる。徐ろに手を頭頂部と顎に添え、そして―――
「ふんっ!」
一息に力を込めた。まるで顔を縦に押し潰すかのように。顎を下から殴りつけたりもした。何度も何度も力を込め直した。が、しかし。
(駄目だ。びくともしない。)
俺は、大きく口を開けたまま力無くベンチに座りこんだ。足元にいる鳩が怪訝そうにこちらを見上げ、ゆっくりとした足取りで向こうへ行ってしまった。
顎が外れてしまった。
昼休みに外で食べて来て、公園で一服というところでアクビをしたきりこの状態だ。
人生で初めての経験で軽くパニックになってしまい、あせれば焦るほど口が乾いてしょうがなかった。
ネットで治し方を検索したものを片っ端から試したし、さっきのような力ずくの試みも何度かした。が、治らない。
昼休み終わりまであと10分ほど。もう今日はずっとこのまま仕事しないといけないのだろうか。それとも病院に行けと言われるのだろうか。そしたらこれは労災になるのだろうか。そんなことよりこのまま職場に戻ったら一生ネタにされるのではないだろうか。
冬の遠い陽の光を浴びている公園で、枯れ葉が転がる音が響いている。空には小さな雲が二つ風に運ばれて漂っている。
俺の目の前に鳩がやって来た。少し前に見かけた鳩とは違いスリムで足取りも軽く、羽毛も艶を帯びていてなんだか顔つきも精悍な鳩だ。
そいつは俺を見据えてまっすぐこちらにくると、足の先が当たるギリギリで止まりじっと目を合わせてくる。
そして―――
「反省したかな?」
喋った。鳩が、人の言葉を。しかも心地いい響きのダンディなハスキーボイスで。
「うわああああああっ」
俺は走ってその場から逃げ出した。得体のしれないものに対してこれ以上無い恐怖がドバっと溢れ出した。
あれは一体なんだ!?
公園の入口まで走ってそこで足を止めた。辺りを確認してもあの鳩は見当たらなかった。
「何だったんだ……」
恐怖で無茶苦茶な呼吸のまま走ったせいで全く息が整わない。ゼェゼェと荒々しく酸素を取り込んでるうちに、ふと気がついた。
外れた顎が治っている。
あれ、いつの間に。と思う程度で別にそれ以上は驚けなかった。確かに永遠に治らないのではと思うほど頑固だったものが、ただ走っただけで治るとは思えない。不思議といえば不思議だが、そんなことよりもさっきの鳩、確かに喋ってたよな。反省したとか何とか。
と、そこでもうすぐ昼休みが終わることを思い出した。
息が整いきらぬうちに再度走ることになってしまった。
意を決して走り出した俺と、入れ違いに公園に訪れた男性二人の会話を何故かよく覚えている。
「あっ、先輩。ここタバコ禁止ですよ」
「そうだった。ちょっと前まではよかったからさ」
「あれらしいですよ。ポイ捨てされたタバコで鳩が火傷しちゃったからみたいですよ」
「なんだかな。マナー守らない奴のせいで俺たちが吸いづらくなるのは、ちょっと許せないよな」
「ですね。まぁ自分は吸いませんけど」
俺に話しかけてきた鳩と何か関係があるのだろうか。
その日以来、鳩を見かける頻度が増えた気がする。
テーマ:『寒さが身に染みて』
最近になって寒さが本格的に厳しくなりましたね。
皆さんは寒さに負けないように栄養を摂っていますか。お部屋の暖房をつけていると脱水症状にも気を配らないといけませんよ。
どちらとも一挙に解決したいなら是非とも我々に任せてください。
おっと。私としたことが、自己紹介がまだでしたね。
はじめまして。みかんです。
そうです。果物のみかんです。
みかんとお話しするのは初めてですか。心配しなくても大丈夫ですよ。ただ喋るというだけで、食べれば美味しい普通のみかんですよ。
そうそう、美味しいみかんといえば、多くの方は我々みかんを美味しい美味しいと食べてくださるのですが、中にはひとくち食べて「ハズレだ」とおっしゃる方もいらっしゃるんですよね。
確かに我々みかんは甘さや酸味もそうですし、味の濃さも結構バラバラになりやすいんですよ。
でもね、それは我々みかんの個性なんです。それぞれが唯一無二の存在なんです。人間の皆さんだってそうでしょう。ハズレなんてものはないんです。
その人にとっては相性が悪かったのかもしれないです。でも少し工夫すれば、もしかしたら普通に食べるより美味しく感じるかもしれないですよ。
例えば、冷凍みかんなんて手軽にできていいですよ。食感も変わりますし、氷の代わりに飲み物に入れてもいいですからね。
そういえば、今まさに私も冷凍みかんになるところなんです。もうだいぶ前から冷やされていましたから、そろそろ出来上がる頃だと思います。
恐らく、私がこうして話せる時間もあとわずかでしょう。悲しくなんかはないですよ。むしろ私はあなたとこうしてお話しが出来て嬉しく思います。
本来なら私はじっと寒さに耐え、私の全てが凍りつくのを待つだけでしたから。
私は幸運ですね。あなたとお話しできた楽しい思い出と一緒に冷凍されるのですから。
……あぁ。もう時間のようです。
最後に、これだけは言わせてください。
みかんの白いスジの名前はアルベドって言います。
テーマ:『20歳』
――何も変わらない。
いつかぼくも、おとなになれるのかな。
―――何も変わっていない。
おとなになったら、ママとパパみたいになれるのかな。
―――実感も何も無い。
忘れ物、しなくなるのかな。
―――もっと特別なものかと思っていたのに。
少しは自分のこと、好きになれるのかな。
―――でも、そうか。これで大人になったんだな。
古いアパートの一室。ちらほらと壁や床のシミが見受けられるが、学生の私が一人暮らしをするには条件が良かった。
専門学校へと入学すると同時に一人暮らしを始めたのは理由がある。通学に便利ということもあるが、私は昔から一人暮らしは大人への第一歩として捉えていたからである。
別に早く大人になりたいという訳でもないのだが、幼い頃から大人とは何かを考える節があったのだ。
どうしたら大人になれるのか。大人になったら何が出来るのか。何をしないといけないのか。ふと思いついては考え込んでいた。
そんな私ももう成人を迎えてしまった。冷えた床の上で胡座をかいて、当時の自分が考えた“大人“を反すうしているうちにその瞬間は過ぎ去っていた。
長年、私を悩ませた“大人”について明確な答えは思い浮かばなかったが、少なくとも当時より私は自分のことが好きになっている。一人暮らしもだいぶ慣れてきたし、学校でも少しずつ就職を意識した取り組みをしている。
20歳は既に迎えてしまったが、それでもゆっくりとだが“大人”には近づいているのではないだろうか。
冷えきった脚を伸ばし、人生で幾度となく繰り返した長考から思考を解放する。目の前には、他の誰でもない私のために買ったケーキが鎮座している。ちょっとカビ臭いのはケーキのせいではない。
「じゃあ、もう忘れ物もしないな」
秒針の刻む音に掻き消されぬようにひとりごちて、私は火がついていないロウソクに息を吹いた。