私の命の付属品
幼い頃からいつも母を煩わせた病よ
しばらく姿を隠していたお前は
ある日突然私の胸に帰ってきた
薬をもらっても落ち着くことはなく
先生も不思議そうに首を傾げた
咳一つするごとに涙も一粒落ちる惨めな病よ
傍の最愛の人がいなければ
いつお前に負けてもおかしくはなかった
私の喉に嵐はあるが
そんなものは取るに足らない
命の瀬戸際に最愛の君
私は元の私となって
君と共に生きていく
◼️嵐が来ようとも
子供の頃は、毎年母の実家近くの八坂神社のお祭りに行くのが楽しみだった。
大通りが歩行者天国になっていてたくさんの出店が並ぶ活気のある大きなお祭りだった。
昼に御神輿を担いだら夕方早めにお風呂に入り、浴衣を着て人の流れる方へ繰り出していく。
アレが食べたいと出店を指さすと「神様にお参りしてからだよ」と母に嗜められた。
そういうふうに育てられた。
社会に出てから少しして、
職場の同僚が住む町のお祭りに誘われたことがあった。
賑わう駅前で待ち合わせして、揃ってすぐに
じゃあ出店回ろうかと言われた時の違和感。
⁇⁇⁇神様は?
結局その日は最後まで神社へは行かず、出店をブラブラして、最後に同僚オススメのラーメンを食べて帰宅した。
そういうこともあるのか⁇
調べたところ、そのお祭りは神社主体のものではないことが判明する。
名所名跡のない土地で人と人の交流と地域活性化の為に設けられたお祭りだという。
お祀りではない。
フェスティバルである。
たくさん人が集まってハレの賑わいを見せる。
しかしそこに神様はいない。
それは小さなカルチャーショックだったのかもしれない。
◼️お祭り
1970.11.25 @市ヶ谷駐屯地
三島ー‼︎死んでる場合じゃねぇ‼︎
豊饒の海のラスト何なんアレ‼︎⁇
ふざけんな書き直せや‼︎
◼️もしもタイムマシンがあったなら
「どうして?」
「どうしても。」
「なんで?」
「なんでもだよ。」
納得がいかず繰り返し問うと
「しつこい」と言われ叩かれた。
痛かった。
部屋を整然と保つことができなかった母親
イライラとヒステリーを起こしていた母親
子供にも容赦なく手を上げた母親
たくさんたくさん、剥がされ踏みつけられてきた
・蓋をした好奇心
・鈍化した不快感
・拒絶できる抵抗力
・私を褒めて認めてくれる人達の
言葉を信じて受け取れるだけの素直さ
・尊厳
立派な社会人になるためには
全部いらないものだった。
でも死ぬまでには必ず
血を流してでも取り返さなきゃいけない。
◼️今一番欲しいもの
私が山に因んだ名前、
対して弟二人は海に因んだ名前だと
大昔に母から聞いた気がする。
しかし最近になって
自分の名前について調べてみたところ
海からやってきた人たちが
内陸に移住してきたことでついた地名らしい…
ということがわかった。
山は海へ。
不動は流動へ。
人生は後半戦に突入し、
大どんでん返しの属性変更を喰らう。
◼️私の名前