――種がないのも困りもの。
二階の自室からダイニングへ下りると、遊びに来ている友人が見慣れないものを食べていた。手土産だろうか、それと同じものが小さな木の籠に積まれて置いてある。香りは普段よく食べるオレンジと似ているけれど、少し、違うような。
「オレンジ、ですか?」
持ってきた本を机の端に寄せて、橙色の果物を指先でつつく。なんだか小さくて丸っこい。
「ミカンっていうのよ」
「みかん?」
「ほら、この前ユズを見せたでしょう。あれと同じ地域で育つ柑橘類よ」
あのお湯に入れる果物の仲間らしい。でも、それならだいぶ酸っぱいんじゃないだろうか。
「甘いんですか?」
「ええ、普通のオレンジよりもね」
食べてみる? とひとつ差し出されたみかんをまじまじと眺める。オレンジよりも皮が柔らかい。友人も素手で皮を剥いている。
「ナイフは要らないんですね」
「食べやすくて良いわよね。簡単に剥けるわ」
なるほど、とひとつ頷き、友人を真似てみかんに力を込める。あ、本当に簡単に剥ける。
「実が小さいです」
「そこが難点かしら。いくつか食べないとお腹にたまらないわ」
「……それ、何個目ですか?」
「さあ……いくつかしらね」
わざとらしく目を逸らした友人に呆れつつ、テーブルに目を落とす。……三つか四つはありそうだ。こんなに食べて、夕飯が入るのか心配になる。
「ほら、食べてみなさいな」
「そうですね」
促されるままひとつ口に含む。
「ん、甘くて美味しいです」
「でしょう」
三つ四つと手が伸びてしまうのもわかるかもしれない。少し酸っぱくて、でもそれ以上に果物らしい甘さがちょうどいい。
「これ、育てられないでしょうか」
「庭で?」
「種があれば……」
「種が出にくいように品種改良されてるみたいよ」
「たくさん食べれば……」
夕食が入らないくなるわよ、と笑いながら言われてしまう。
「なら夕飯の後に食べます」
「はいはい、私も手伝うわ」
翌日、黄色っぽくなった肌に二人して悲鳴をあげるのはまた別のお話。
(みかん)
──今度いっしょに。
隣を歩いていた彼女が、何でもないことのように突然呟いた。
「最近、子どもたちが昼間に遊んでいますね」
「ああ、そうだな……?」
視線の先では、学び舎に通っているだろう年齢の子どもたちがはしゃいでる。何も不思議なことは無いと思うが。
「学園はお休みなんでしょうか」
「? 冬休みだろう」
「……ふゆやすみ」
竜胆色の瞳がぱちくりと瞬きをする。まるで初めて聞く言葉のような反応だ。
「冬休みは、ずっと屋敷でお勉強をする期間では」
「……君の家ではそうだったんだろうな」
その一言でだいたいの事情を察せてしまう。彼女の過去を根掘り葉掘り尋ねるなんてことはしないけれど、苛烈な教育方針の中で育ったのだろう。
「君は、冬休みに何をしたい?」
「ふゆやすみに」
「何処かに旅行へ行くとか、外食をしに出かけるとか」
「私……」
言葉を紡ごうとしては上手くいかずに口が何度か開閉するのを、何も言わずに見守る。
「雪に、触ってみたいです」
「雪、か」
今年は降るだろうか。平年と比べてやや暖冬だと聞いたけれど。
「あと」
「ん?」
「雪だるまを作ってみたいです」
「ああ、それも良い」
庭先ではしゃぐ子供達をじっと見つめる視線に、年長者として彼らを見守る暖かさと――羨望の混じる幼さを感じて。暖冬だろうがなんだろうが、彼女のために雪が降れば良いと思った。
(冬休み)
──ふたりなら寒くない。
二人並んで初心者用の手芸の本と睨み合って、ようやく形になったそれの不恰好さに笑い合いながら雪の積もった道を歩く。ところどころほつれていたのに市販のものよりあたたかく感じたのは、今まで買ったどんなものよりも輝いて見えたのは、きっと。
(手ぶくろ)
──みっつの光。
変わらないものはない、なんて言うでしょう。
あの言葉は半分間違いで半分正解だと思うんです。
きっと、変わらないものは「ほとんど」ない、が正解に近いんじゃないでしょうか。
だって。
あなたの瞳の輝きは翳らないんですから。
出会った頃からずうっときらきらして眩しくて、
長い間見ていると眼が灼けてしまいそうで。
どれだけ長い間一緒にいてもぴかぴかしていて、
やっぱり目を閉じると残像が浮かびそうで。
……残像が現れるのは網膜でしたっけ、それとも脳の方?
まあどちらでも良いんです、とにかくあなたの瞳が眩しいというだけ。
むかし言ってくださいましたね、自分の人生を全て渡すから君の人生も全て欲しいと。
それならあなたのきらきらの瞳も私のものですか。
私だけのものにして、ずっと見ていても──
……いいえ、駄目ですね。こんなに綺麗なんだから、たくさんの人が見るべきです。
私だけの光なんかじゃなくて、もっと多くの人を照らすことができるんですから。
ずっときらきらぴかぴかでいて下さいね、
太陽みたいで、月みたいで、星みたいな光のひと。
(変わらないものはない)
……たまには私だけの光になってほしい、と言ったら呆れられてしまうでしょうか。
書いているお話の世界にクリスマスが無いため見送ります