普通の家で暮らしたい。
ベランダがあると良い。そこで花や小さな木なんかを育みたい。窓を開けて、網戸にすると好い香りが吹き込んでくるだろうから。風呂からあがれば、暗闇の先にある店や家からこもれる明かりを眺めながら、のんびり髪を拭いたい。ベランダなら洗濯物もさっぱりと乾くだろう。窓辺の部屋干しは、朝の景観を著しく悪くするのだ。
同居人がいると良い。私が眠らずにいれば、「早く寝なさい。こんな時間だよ」
と叱ってほしい。私が眠れずにいれば、偶には付き合ってどうでもいい話に相槌を打ってほしい。いつか私も一緒に起きててあげるから。大きなトマトとか、新鮮なうちに美味しい野菜を食べ切ってしまえるし。私が過食して落ち込むときには「食べ過ぎだよ」と笑ってほしい。
大きな冷蔵庫の中に、たくさん食べ物を詰め込みたい。独りじゃないなら、飽きずに食べてしまえるから、色んな種類の常備菜をたっぷり入れたい。中を覗いて、自分が買った覚えのない物を思わぬ発見をしたい。自分が嫌いな物が入っていても良い。
階段があると嬉しい。誰かが階段を登ってくる音を聞きたい。カップに注いだ牛乳をこぼさないように階段を登りたい。
大きな風呂がほしい。疲れたときに入りたくなるようなお風呂が良い。四肢を遠慮なく伸ばせる広さがほしい。風呂とトイレが別れてなくてもいいんだけれど、なんでだろうか、別れててほしい。脱衣所もあるといい。
洗濯機がほしい。朝早起きをして、洗濯機を回して、ベランダに干したい。家族の分をまとめて1日に1回服を選択したい。一人暮らしのように、何日もの洗濯物を部屋に置いておきたくはない。夕方早めに帰って、テレビでニュースを観ながら、好い香りの洗濯物を畳みたい。
必需品じゃない物をたくさん備えたい。この蜂の巣みたいなアパートでは無理だけど。一人暮らしには贅沢だから買うのに気後れするけれど。気が向いたときのお菓子作りのために、ケーキの型やオーブンや泡立て器を置いておきたい。なんて贅沢だろう!
夜が明けてきた。
まだ曇りか晴れかも判断がつかない。
いつの間にかセミが鳴き始めた。
もうこんな時間。
終わったつもりがないのに、また新しい一日。
雨が降る東海道。新幹線の窓は、その凄まじい勢いで水滴が小さな蛇のように走り抜けていっていた。私はぼーっと無数の蛇が生まれ続けるのを見つめた。低気圧のせいで私は頭が重かったのだ。新幹線内の気圧変化により、イヤホンを耳に挿し込み音楽を聴くのも億劫である。
先程まで私は友人のエンディングダイアリーを読んでいた。彼女は先月、死んでしまったのだ。若いのに、癌であったのだ。三カ月前に彼女を見て、痩せたとは思っていたが、彼女はダイエットよと言って笑っていた。
彼女の葬儀が終わり、彼女の夫が私に貸してくれたエンディングダイアリー。読んでわかったことだが、彼女は日常の中でぷつんと死にたかったらしいのだ。張った糸がハサミで切られるように。彼女は死の準備を密かに進めながらも、愛しい日常の陽だまりにできるだけ長く浸っていたかったのだ。
私はエンディングダイアリーの半分を過ぎた辺りで、彼女が隠していたどうしようもない苦しみに耐えかね、それを閉じた。自分は凄まじい苦しさに犯され解放されるのは臨終の時。夫には献身的に支えられつつ生きることを望まれた。
生命の終点。
ぶつり。
ぷつり。
できるだけ、頑張ったけど駄目でした。
もう逆らえませんでした。
でも、これで良いんだと思えます。
最後に、この世界に感謝と愛を伝えてから、自分を虚へほおりこみたいと思います。
わたしをわたしたらしめてくれた人、世界、愛、運命、さようなら!
本当に。
本当に。