体と心はくっついているものと思っていた。
でもどうやら違ったらしい。
過度な疲労で体が倒れ、
後を追うように心が倒れた。
私の経験上、24時間寝つづけていれば治せる。
しかし、この時は回復に5日も要した。
「よっし、動けるようになったぞ!」
スーツに着替え意気揚々と外に出る。
はずだった。
目の前の景色は閉じられたドアのまま。
手を伸ばしてるはずなのに脇が締まってる。
なぜドアが開いてないのか?と思いつつ
目線を下に向けるとドアノブに手がない。
空中で手が止まっていた。
1度手を収め、
もう一度ドアノブに手を掛けようとする。
手だけがピタッと止まる。
体は前に進むのに手だけが止まるものだから
まるでパントマイムをしているようでおもしろかった。
何度繰り返してもドアノブ20,30cmの距離で止まる。
「おいおい、仕事行けれんぞ…」
もしや?仕事に行くのがダメってことか?
試しにドアチェーン掛けてドアを開けてみる。
青空が見えた。
「今日は空が綺麗だなぁ~」
何度か試して
体にドアを開ける感覚を覚え込ませる。
「よし!」
と思ってドアチェーン外してドアを開ける。
手が止まっていた…。
終いには遅刻する時間になってしまったため
職場に連絡して病院に行ってから出勤すると伝えた。
病院には行けれた。
病院の受付で「病院には来れるんですけどねぇ…?なんで仕事に行こうとすると体が止めるんでしょ…?」と思わず言ってしまう。
結局この時、自宅療養を言い渡され
仕事には行くことができなかった。
心と体はくっついているものと思っていたが
どうやら連携しているだけで
くっついているわけではないらしい。
はなればなれには決してならないと信じたいが
心が元気で命令しても
言うことを聞かないくらいだから
はなればなれになるなんてことも
あり得るんだろう。
そして、体を動かしているのは
いったい誰なんだろうか。
さて、前回に引き続き子供時代の私の頭の中を紹介しよう。
これが最後。絶対に最後にする。
もうこれ以上付き合わせない。
きっと…。
前回から3年後、中学3年生の頃の考え事だ。
タイトルは『地球温暖化』。
どうぞ。笑
あ!
なお、誤字脱字があってもそのままにする。
今度こそ、どうぞ。
突全だが、もしインフルエンザになったとき、人間はどういう反応をするだろうか。まず、せきなどがでる。そして、熱を出してしまう。それは、体の中に入った病原菌を殺すために熱を出すのだが、それには、ちょっとした危険がついている。それは、自分の出した熱が高すぎたりすると、その熱で脳がやられ、傷害が残ったり、わるければ死んでしまうことだ。そんな危険なことをなぜするか。それは、それしか方法がない、つまり、最終手段ということだ。
さて、最近は地球温暖化が進んでいるという。地球温暖化とは、二酸化炭素などの温室効果ガスが多くなり、太陽の熱があまりにげなくなってしまったため、地球の温度が高くなってしまうことをいう。
では、地球温暖化を分かりやすく説明しよう。
地球を人の体、人間をインフルエンザウイルスとしよう。まず人間が二酸化炭素などを出して、地球という体をいためてしまう。すると、地球は、森林などふせげるものがないため、自分の体の温度を上げていき、病原菌を殺そうとする。それが、地球温暖化だ。しかし、地球がなぜ、今になって地球の温度を上げるのか。それは、始めに言っていたように、かなり、危険をともなうからである。もしかすると、これによって、地球自体が破めつしてしまうかもしれない。地球は、最終手段までも使ってしまったのだ。この美しい地球がただのわくせいになってしまうとき、それは、人間に起こされた悲劇なのだ。
らしい。
う~ん、悦に入っている。
悦に入っているが、誤解しないでやってほしい。
当時は他人に公開されない予定だったからこう書いているのであって、ここにそのまま書いたということは、当時の自分が悦に入っているのではなく、今の、この私が悦に入っている。ということになる…。
なお、この考えをおもしろいなと思う分にはいいけれど、たしかに!なんて思わないでほしい。
なぜなら、この先には「人類は害でしかないから1人残らず滅亡すべき」という考えが腕を広げて今か今かと待ち受けているからだ。
破滅思想はガン細胞になってしまう。
秋風が葉を揺らし、鮮やかな赤が吹き抜けていくような、そんな美しい地球がいつまでも残ってくれたらいいなぁと、そんな思いで書き残すことにする。
小学校6年生の頃から何か止めどなく思うようになり、その年齢時点での考えを日付と共にノートに書き残すようになった。
ふと考えることがあり、見返してみたらそれなりにおもしろいことを書いていたため、小学生が考え事をするとどうなるか、気になる人は読んでいっていただければ…。
たぶん、公開したと当時の自分に知られれば、ボコスカ叩かれてキレられると思う。
題は『自然と人間』とのことだ。
どうぞ。(長いよ。心してかかれ。)
理科の勉強をしながら思った。
病気がある理由は、神様が人間をほかの動物と同じように、バランスをとろうとしたからではないか。しかし、人間は、だんだん知恵を得て、病気をなおせるようになった。そのため、人間が、病気によって死ぬことはなくなった。
長生きできるようになった人間は、自然をはかいしながらしんぽしていった。そのため、人間は、人間のあやまちで死ぬことになるだろう。
人間は、自然があるから、生きているということをわすれてはならない。
そこらへんにはえている草を、ばかにしてはならない。木は、まだたくさんあるとはおもってはならない。植物があるからこそ動物も人間も生きていけるのだ。自然のおかげで、水はきれいで、のむことができるのだ。
自然のおかげで酸素があり、息をすることができるのだ。
自然のおかげで、食べ物があるのだ。私たち人間が食べている動物も、植物を食べているのだ。
人間は、自然があるのは、ふつうだと思っている人が多い。私はちがうという人も、つい、考えてしまうものだ。これからさき、自然があるとはかぎらない。だからこそ、今から、自然をふやさなければならない。ところが問題は、一度自然としての機のうをなくしたところは、そうかんたんにはもとにもどらないということだ。このまま自然がへっていくと、とりかえしのつかないことになってしまうのだ。これからは、全世界の人々が、このことを考えなければならない。そして、じっこうすることがたいせつだ。
こんな言葉がある。
『一将功なりて万骨枯る』
意味は、功名を立てた者のかげには、そのためにぎせいとなった人が多くいるものだということだ。
人は、しんぽするため、いろいろなものをつくる。
だが、そのうらには、数多くの森林がぎせいとなった。だが、こんな言葉もある。
『雨だれ、石を穿つ』
微力なものでも、根気よく努力すればやがては成功するということだ。
一度、自然としての機のうをなくしたところをもどすのは、大変だ。しかし、すこしずつでもしていけばいつかは、もどるときがくるだろう。だから、人間は、自分たちがやったことは、自分たちのてでなおす義務があるのだ。
権利があるものには、義務がある。しかし、その義務を、ほおっておけば、あとは、悪いことばかりつづくものだ。人はいそいで、活動しはじめなければ、あとにのこるものは苦労だけだ。
『地球にいるからには、ひとりひとりがじかくをもつことが大切』
だそうだ。
ひらがなが多くて書くのが疲れた…。
この頃の私はまだマイルドだが、その後「人類は害でしかないから1人残らず滅亡すべき」という発想に飛躍していく。協和という考えはなくなってしまったようだ。
そんな私が病気になり、人の苦しみに目を向けるようになったのも、神様がバランスを取ろうとしたのかもしれない。
テーマは「また会いましょう」だったかな?
当時の自分に会ってきたという話でした。
《追記》
「この書き出しって…」と思い調べたら当たっていた。夏目漱石の「草枕」だ。
たぶん草枕に刺激されて書くようになったんだな。笑
(題目しらず)
赤ちゃんの頃から我慢してばっかりだ 笑
家に風呂がなく公衆浴場に通っていた。
私を洗った後、母自身が洗う時間を設けるため
近所のおばちゃんが私を湯船につける。
あれが嫌だった。
理由は知らないが嬉しそうな顔して
湯船からおばちゃんが手を伸ばしてくる。
底に足もつかない体は
お湯でぬるぬるとした感触に変化した肌に
全身が包まれる。
他人の体にぬるぬると…
あれが本当に嫌だった。
嫌な顔をすると大切な人(母)の立場を悪くする。
それで泣きわめくなんてことはしなかった。
赤ちゃんだって気を使う。
言葉などの伝達手段を持ってないからか
嫌な気持ちを伝えようという発想さえなかった。
泣きわめかないなら、我慢するほかない。
迷惑をかけてはいけない。
全身はぬるぬるして気持ち悪い。
せめてもの安心感?で、体を洗う母親を
じっと見つめるしかなかった。
私は今、部屋の中を漠然と見ている。
目に入る物の名前を認識せず漠然と見ている。
ふとここで物の名前を意識してみる。
それまで自由に広がっていた世界が
名前をつけたり認識した途端
凝り固まった小さな物として捉えてしまう。
結界が張られた
個として際立った
と言ってもいいかもしれない。
よく分からない人は
「役割が決められきってしまった」
と捉えてくれてもいいが、
この話はそこに留まらないことだけ
留意してほしい。
しかし名前には反対に
世界を跳躍する能力も持っている。
そこに風を送っている物がある。
羽根が回転している。
名前は「サーキュレーター」。
そう聞くだけで、
ただ回転して風を送っていただけの物体が
他の物より静かに遠くに
風を送っているイメージが思い浮かぶ。
目の前に広がる世界より
より多くの情報を伝えてくれる。