まさに今日、日記が閉ざされた。
木枯らし
風速は秒速8m以上
北よりの風
秋から冬に向かうとき吹く風
風が吹くたび葉を落とし、木を丸裸にして枯らしたようにしてしまうから木枯らしという。
実りの秋、色鮮やかな秋からモノクロに近づいた、裸の目立つ冬に変わる。
ビューと吹く
淋しくなる
木枯らしが鼻先をかすめると、つーっと鼻水が。
乾いた空気で喉は枯れ、がらがら声に咳コンコン。
淋しい世界に心も枯れ、ちょっとしたことに心折れそうになる。
ふとした時に涙が流れ、止めようにも止まらない。
涙枯れようかという時に、新たな風が吹いてくる。
風速は秒速8m以上
南よりの風
冬から春に向かうとき吹く風
春の訪れを告げてくれる
その風を、春一番という。
枯れた木々に芽吹きをもたらす
(詩でも書いてみるかと特徴をメモした。
が、力尽きてそのまま投稿した…。
体裁整えたから許して欲しい。)
我が心に問うてみる。
「美しい」と思うたことあるか?
『さほど無し』
これに尽きる。
美しさを捉える心がないのだろうか?
そうかもしれない。
「綺麗」を捉える心はあるが、どうも「美しい」を捉える心が乏しいように思う。
「綺麗」と「美しい」の違いは何なのか。
きらきらとした光・輝きか、心地よく整った造形かといったところだろうか。
美的センスがない辺り、心地よく整った造形に注意を向けることは確かにない。
いや、あった。
チラシの構成を考える時。
文章の体裁を整えている時。
こういった時は心地よく整った構成に注意を向ける。
そして、確かに「美しい」と感じる。
微々たるところで美しいと感じる心が動いている。
美しさで心を潤すべく、美しさを捉えていこうと思う。
思い込み。
この世界は思い込みでどうとでも変わる。
「それ、しとこうか?」
優しく声をかけられた。
心なしか目元もやさしく見える。
ちょうどすること多くて困ってたんだ。
してもらえるとほんとに助かる。
声色も余裕ありそうだし、折角ならお願いしちゃおうかな。
「それじゃお言葉に甘えて。お願いします。」
優しく声はかけられた。
けど、ほんとは迷惑なんだろうな。
他の仕事も手が回らなくて正直しんどい。
仕事できてないの見透かされちゃった…。
ただでさえできない人間なのに。
こんな簡単なことも出来ないなんて。
けど他のこともしないと間に合わないし。
心苦しいけどお願いするしかない。
「すみません…。お願いします。。」
思い込みという言葉が正しいかはわからない。
でも、その場その時の環境、感情、心の余裕で世界はガラッと変わるもの。
常に攻められてれば、何でもないことにも防衛反応を出してしまう。
自分が良くない思い込みをしていれば、「ほんとは違うのかもしれない」と1度心を安め、他人が良くない思い込みをしていれば、「常に負担を抱えているのか…」と負担や不安を抱かせない態度を心掛け、「思い込みだよ、大丈夫」と心で思って接してやれば、次第に安堵を得られるかもしれない。
とにもかくにも、この世界は思い込みでできていることを頭の片隅に置いておけば、見える世界が、また少し、変わるかもしれない。
そう思い込んでいるのだから。
ガキのころ、どうしても言わずにおれない言葉あり。
「なんで?」「どうして?」
何故してはならぬのか、何故しなければならぬのか、大人たちに疑問をぶつけずにはいられない。
だが、困ったことに腑に落ちぬこと多々あり。
せぬ訳にもいかず、渋々行動す。
歳重ね、次第に問いかけ減る。
疑問、変わらず。
大人、喜ぶ。
次第に、疑問も減る。
疑問を持たぬことに慣れた頃、社会に飛び込む。
最初こそ疑問を持たぬ行動が歓迎されるものの、次第に疑問を持つこと求めらるる。
1度落とした習慣、なかなか取り戻せず。
子供の習慣、侮れず。