文中の「赤鈎」の元ネタはレッドフック街で、伊栖摩市はインスマスです。そういうの許せる人が読んでね。
ぬくもりの記憶
児童養護施設で育った私だけど、ほんのりとたぶん母だと思う人に抱っこしてもらったぬくもりの記憶がある。私の戸籍には出生地が伊栖摩(いすま)市赤鈎(あかかぎ)と記載があって、私は一度そこに行ってみたいと思っていた。
冬休みを利用してやってきた伊栖摩市はごく普通の地方都市だ。赤鈎をgoogleマップで検索してみると、伊栖摩市繁華街の裏通りのようだ。私の母は居酒屋やキャバクラで働いていたのかもしれない。
赤鈎と思われる通りに入ると、まだ午前中だというのに空が暗くなった。お帰りなさいと耳ではなく脳に直接響いた。道路いっぱいに広がったスライムめいた灰色のものが蠢きながら近付いてきて、私を飲み込んだ。
私が求めていたのは確かにこのぬくもりだった。
凍える指先
私、冷え性じゃないの。それにね、ここはそれなりに南国だから、部屋の中にいれば指先が凍えて動かなくなるようなことはない。そう、私の指先が凍えて動かなくなるなんて、ありえない。しかもここ暖房が効いている部屋よね。じゃあどうして私の指先が変色して凍えたようにこわばって動かなくなったのか。凍える指先を見せたらあなたは笑っていた。思った通りになって嬉しいとでもいうみたいに。今夜眠ったら私は目を覚さないのかもしれない。
雪原の先へ
ああ、やっぱりこんな状況では夢野久作の「氷の涯」を思い出してしまうね。濡れ衣を着せられた「氷の涯」の主人公には、ニーナという可愛い相棒がいたけど、あたしには…そうだね、君がいるね。抱きしめたらあったかいかな。うん。意外とあったかい。ロボットには体温があるんだよなあ。バッテリーは熱を持つものだもんね。あたしの状況は君もわかってるよね。君の体温もあたしにはありがたい。アルギュレ・ドームから追放されたあたしたちは雪原をバギーで走ってゆく。テラフォーミングが進んでいるとはいえ火星はまだまだ極寒の地だ。ヘラス平原のドーム都市までたどり着ければ生きていられるかもしれないけど、あまり期待は持てない。抱きしめればそれなりに暖かいロボットを背に感じながらあたしは走る。
白い吐息
ぽっかり空いたあなたの口から白い吐息。断続的に出てくるその吐息は、僕にとって美しい毒だ。あなたとコミュニケーションがとれたこと自体が本当に奇跡的なことで、僕は何度神に感謝したか知れない。煮えたぎるあなたの体内で蒸発した金属の微粒子が、またあなたの口からこぼれてくる。溶接ヒュームに酷似したその白い吐息を僕は不思議な思いで眺める。あなたと意思疎通ができるとは、宇宙生物学者も想像しなかったのだ。
消えない灯り
床に横たえた黄金の十字架の中央に、十一枚の薔薇の花弁を慎重に並べた。黄金の暁教会の本来の象徴では二十二枚の薔薇の花弁を並べるが、これは私のための儀式である。私の生命数は十一なのだ。蠟燭に火を点け、香を焚き、目を閉じる。今夜こそはアストラル投射に成功するだろうか? 閉ざした眼裏に光り輝く炎、あれこそが私の求める消えない灯りだろうか? 集中していたのに肩を叩かれて私は現実に戻った。
「もう十二月なんだから布団で寝ないと風邪引くぞ」
そうだよね、あなたは私を現実に戻してくれる。あなたは消えない灯りではないけれど、私の大切な灯り。