ささほ

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9/6/2024, 12:40:08 PM

時を告げる

私が生まれ育った山間の小さな部落は同姓が多く、姓でなく屋号で呼び合うのが常だった。ブンザヤシキ、ヤダイ、カネサ、元の意味など忘れられて久しい屋号がほとんどだったが、私の家の屋号トキノヤにはいわれが伝わる。時計があるわけでも鐘があるわけでもないこの家、しかしこの家の古井戸が「時を告げる」のだという。「時を告げる」のがどういうことか私は知らないが、「時を告げる」の意味がわかったと言った父はしばらくして肺がんで死んだ。「時を告げる」とはこういうことなのねとつぶやいた母はその夜脳出血で亡くなった。

9/5/2024, 10:33:22 AM

貝殻

病気の牡蠣だけが真珠を作るのです、と半ば泣きながら彼は演説したが、ほとんど誰にも意味がわからなかっただろう。まあ牡蠣もごくたまに真珠を作るんだろうけど、真珠はアコヤガイからとるのよね普通は、と私は思ったけど、そういう問題でもない。あのバカはR・A・ラファティのSF「素顔のユリーマ」から引用したのだ。オリジナルじゃない。あいつは天才だけどオリジナリティはあんまりないのだ。盗みと模倣と推理の天才。そうあいつは天才的なホワイトハッカー。

ホワイトハッカーとして名前だけは有名だった彼が今日はじめて世間に顔を見せ、涙目で演説した。そして閲覧者みんなをドン引きさせた。引退するつもりだと昨日聞かされたとおりにあいつは引退するんだろう。LIVE配信が終わり、彼がいつも使ってた牡蠣殻のロゴだけが画面に映っている。これまで牡蠣殻ってあまり美しいと思わなかったけど、内側が美しい貝殻なのだね。あいつがまだ私と連絡をとってくれるなら牡蠣殻は美しいと伝えることにしよう。

9/4/2024, 12:46:54 PM

きらめき

あれは私がたぶん幼稚園の年中さんだったときだから、いやあ自分で驚いちゃうけど半世紀前のことだ。私は幼稚園の園舎にいて、外では雨が降っていた。窓から園庭を眺めると、水たまりに落ちる雨がダイヤモンドのようにきらめいて見える、と幼稚園児である私は思った。水たまりから目を離して空を見ると、空の半分が黒雲で暗く、もう半分は白い雲と青空であかるく、雨が降っているのに日が差して、いわゆる天気雨や狐の嫁入りと呼ばれる空模様になっていた。私は生まれて初めて見た天気雨と水たまりのきらめきに驚き、これを一生覚えていることにしようと心に決めた。あの光景を忘れないように何度も何度も記憶を反芻したから今もはっきりとあのきらめきを覚えていて、天気雨の日は必ずあの日のことを思い出す。

9/4/2024, 8:23:47 AM

些細なことでも

些細なんて言われると些細の定義について考えてしまうので私は会話が苦手なのだ。些細とは細かくてささやかでちょびっとでちっちゃいことだ。些細って言葉には、取るに足らない、あまり重要ではない、どうでもいい、そういう意味もあるとは思うけど、私はそういうの好きじゃない。こういうお題で「些細なことでも大切にしよう」だの「些細なことでも気になってしょうがないことはある」だの「些細なことでも連絡しよう」だの、果ては「世の中には些細なことなんかないみんな重要だ」だの書くことは可能だけど、書きたくない。というより、こういう価値観がからむお題が苦手でどうにもうまく書くことができない。私は、机の上の消しゴムカスとか、ダンゴムシの足とか、今日数えた畳の目の数とか、ラーメンに浮いてる脂とか、ほんとに些細でどうでもいいお題が好きだ。

9/2/2024, 11:12:02 AM

心の灯火(1960—1993)

フランケンシュタインの怪物を俺は覚えている。
俺は子どもの時から頭が冴えていて、
誰よりも記憶力がよかった。
だから俺は超難関の試験をいくつもクリアし、
極秘の指令を受けて宇宙に飛び立つ人間として選ばれたのだ。
そうだ、俺は人間だ、それを忘れてはいけない。
俺は記憶力がいい。
今だっていい。
フランケンシュタインの怪物を俺は覚えている。
あの醜悪な姿。
人工的な怪物。
俺は違う。
俺は人間だ。
おれは人間だ。
おれはにんげんだ。
お・れ・は・に・ん・げ・ん・だ。

俺は忘れない。
俺は記憶力がいい。
俺は身だしなみに気を使うたちだった。
いつだって上着の衿はきちんとしておいた。
だが今や俺は鏡というものの存在を忘れたいと願う。
船内に鏡はない、鏡はない、
しかし俺の宇宙船にも窓はあり、
船内が明るい限り窓は暗く俺の姿を映し出し、

船内の灯りなど消してしまうに限る。

窓のそと幾光年の幾パーセクの闇黒に、
小さな黄色く懐かしい点が浮かぶ。
あれはなんというものだった?
暗い道、
窓からこぼれるともしび、
暖炉の火、暖かく、やさしく、
違う、あれはともしびではない、
やさしくはない、
人が造る暖かみではない、
しかしそれでも、
俺を生かすのは炎、乾燥、極端なまでの高温、俺を変えた熾烈、
俺は黄色い光の中で生きてゆけるだろう、
俺は光の中で安らぐだろう、
しかし俺がめざすのは安らぎではない。

俺の白くひび割れた背を押すのは放射能 炎 望郷 ともしびの記憶 太陽風
俺を突き動かすのは灼熱の

いや。

認めよう。
俺を突き動かすのは絶対零度の憎しみだ。
俺を置き去りにした奴ら、俺を見捨てた奴ら、
俺を苦しめるものでしかない、
しかし俺自身がそこから生まれた、
冷たい水。

俺は頭がよかった。今もいい。
俺が造ったこの宇宙船を見てくれ、見えないだろうがね。
ヒトの視覚は容易く誤魔化される、
俺の目とは違う。

俺はヒトではない、どうやら、すでに、ヒトではない。
俺の愛を受け止める者は存在しない、
俺を葬る者は存在するだろうか?

黄色い熱が強大になってゆく。
その脇に青く光るものを、
冷たく他人行儀な水の星を、
地球を、
俺は故郷と呼ぶべきだろうか?

俺は1960年に人の腹から生まれた。
俺はフランケンシュタインの怪物ではない。
俺は人の腹から生まれた。

書き留めておこう。
俺の名は、

ジャミラ。



(ごめんめんどくさくて旧作でよしとした。
それはそれとして私はジャミラが大好きよ。
ウルトラマンの最高傑作は「故郷は地球」だと思うよ。


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