ささほ(小説の冒頭しか書けない病

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8/21/2024, 10:54:09 AM

『鳥のように』連作詩

「軽さへのあこがれ」

飛ぶ鳥はとても軽いのだということを
わたしはときどき忘れる
飛ぶために鳥が捨て去ったものの重さを
わたしはときどき忘れる

鳥の骨は細く軽く
すきまだらけで脆いということを
150kg超の鳥でさえも脆く
たくさんのものを捨て去っているということを

明け方庭のどこかで鳩が鳴くとき
夕方田んぼの片隅でケリが鳴くとき
わたしは思い出す

わたしは150kgの鳥より重い
どれだけ多くのものを捨て去ろうとも
わたしの身体は風に乗らない


「恐竜は鳥になってしまった」

恐竜は鳥になってしまった
大空を羽ばたくかわりに
偉大さをなくした

朝 にわとりが声をあげる
恐竜の飛べない子孫が
景気よく声をあげる

より大きなものを知るためには
偉大であってはいけない
一番であってはならない

にわとりに餌を投げながら
にわとりが得たものについて考える
にわとりが失ったものについて考える

恐竜の足跡が
庭に記されてゆく

あれは
ジュラ紀だったか
シルル紀だったか

思い出せないはずはない
わたしにも血は流れているのだ


「鳥のように」

要らないものを置いてゆこう
たくさんの脂肪は要らない
骨密度の高い骨も要らない
必要最小限の骨と肉と脂肪を持って

必要なのは翼
翼を動かす筋肉
方向を知る目とその他の感覚
そして飛び立とうとする意志

それでもまだ置いてゆかなくちゃならない
重すぎる頭蓋骨
そのどうでもいい中身

人間である限り私は飛べない
人間であることを捨てて私は飛ぶ
鳥のように


「空と引き換えに」

鳥よ鳥たちよ
空を飛ぶことと引き換えに
力を諦め
知力を諦め

ただ空飛ぶための
筋力と
かるいかるい骨と
すてきにかるい翼と

鳥よ鳥たちよ
おまえたちが空飛ぶために
空と引き換えに

なくしたものをこの身に抱えて
飛べない私は
おまえたちが飛ぶ空を見る

8/20/2024, 10:42:10 AM

さよならを言う前に


さよならを言うべきときは常に今だ。そう思ってるから私はいまこの瞬間にあなたに言う。…とかっこつけて考えてみたが、私がさよならの前に言うべきことはふたつしかない。「ありがとう」と「ごめんなさい」だ。で、よく考えてみたところさよならの前だとしなくても言うべきことはこれしかなくて、これ以外にぐちゃぐちゃあるとしたら報連相がなってなかったのだ。うん。報連相大事。ごめんなさい、ありがとう、私は私に巣食ってたウイルスの副作用でお利口になってていろいろ人類に貢献したの。でもね、このウイルス、宿主になってる私が死ぬとたぶん人類の大半を殺すわ。ごめんなさい。これどうしていいかわからなかった。ごめんなさい。誰かに頼ればよかったのかもね。でも私ひとにどう頼ったらいいか知らなかった。頼り方を知ってるべきだったとどんなに悔やんでも遅い。本当にごめんなさい。さよなら。

8/17/2024, 11:09:21 AM

いつまでも捨てられないもの

おれのまわりのやつは大切なものは誇りがなんたらという。たぶん本当に大切なものは誇りではなくなんたらの部分にあり、なんたらの部分は儲かるのだ。おれは何が儲かるかは知らんが、何を残すべきはわかっていたい。この土地にいつまでも捨てられないものはふたつある。一つはこの土地に住まう妖精でありこの土地にこそ育つ植物である。もう一つはこの土地に生まれこの土地を愛しこの土地を祝福する精霊である。おれは間違ってないと思う、それがおれの捨てられないものだ。でもおれは思い返す、学園でおれを助けてくれた先輩、おれの地元で迷ってたおれを祭の広場まで連れてってくれた人。おれはこの土地の領主になることを約束されており、この祭で領主たりうるか試される。おれは何を残すべきか。

***

これ私はあっさりと重責を担う可哀想な若い人異世界バージョンにしましたが、この「いつまでも捨てられないもの」というお題はホラーの定型でありこれはこれとしてかなり書いてみたいお題です。明日、がんばって怖いの書いてみたい。私は怖い話が大好きですが私の怖い話はあんまり怖くないらしいのです。

8/15/2024, 10:38:02 AM

夜の海

自動車免許取り立てのころ友人たちと出かけた、台風の夜の御前崎。あのころ乗ってた軽自動車に波がかかった。今夜は夜勤だと思いながら車を飛ばした焼津の海岸通り。夜勤はしんどかったけど同僚と話すのは楽しかったな。それから恋人と別れたその夜にヤケクソで走った大崩海岸。朝まで大崩海岸にいて朝日を見たっけ。

あのとき走った道は崩れてしまってもう存在しない。大崩海岸のカフェダダリはまだあるけどね。あそこは元アトリエだったんじゃないかと思う海に開けた絶景の喫茶店で、店にはダリの本物が飾ってあった。今は美術館を併設してる。父は昭和30年代に大崩海岸を無謀にも海から登って別荘に登りついてしまったそうだが、たぶんそれはいまはカフェダダリだ。当時はカムカムエヴリバディの英語の先生の別荘だったと父は言うけど。ホントかどうか。

夜の海の記憶は意外に自動車と結びついてるんだと思い出しながら、私は国道150号を走る。父が入院している浜松の病院を目指して走る。左手に海。あの暗い海に父はもうすぐ帰るのだろう。私もいずれあの海に帰ってゆくのだろう。それはきっと今ではないけれど。

8/14/2024, 11:36:09 AM

自転車に乗って

萩原朔太郎の自転車日記は自虐コメディで素敵だ。まあコケるの。萩原朔太郎だからコケても面白くて素敵。てか危ない。萩原朔太郎自転車日記によれば「余車上ニ呼ビテ曰ク。危シ、危シ、避ケヨ、避ケヨト」。ぶつかりそうで自分じゃ避けられないんだよ怖いよ。原朔太郎の詩集でいうと「氷島」のノリだよね、この怖さと軽さと自虐。

夏目漱石の自転車日記も文体は硬いけどどう読んでも自虐コメディで大好きだ。夏目漱石はなぜかロンドンの下宿先の婆さんに「自転車に乗るべき」と言われて乗る。具体的に引用するとこうね、「余に向って婆さんは媾和条件の第一款として命令的に左のごとく申し渡した、自転車に御乗んなさい」。それで自転車に乗るとこがすごく夏目漱石らしい。 

しかるに志賀直哉、やつは明治の世に13歳にして自転車を買ってもらった。当時日本で自転車を買うと二百円くらいしたらしい。いまでいうと二百万円である。まあ適当な計算だけど、いいとこのボンボンが外国のスーパーカーに乗ってるようなもんだな。かわいくないぞ志賀直哉。でも萩原朔太郎や夏目漱石より若い頃から乗った志賀直哉は暴走族のごとく自転車を乗りこなしている。うらやましいわ。まあかっこいいのは間違いない。志賀直哉自身「自転車狂い」だと書いてるしアクロバティックな乗り方してる写真残ってるし自転車すごく好きだったんだろう。

うん。自転車は楽しいんだ。

私はそのへんのDIYショップで買った安い自転車にまたがり坂を気持ちよく下ってゆく。自転車、私が私の力だけで遠くに行けた乗り物、鳥になれそうでなれない翼を持たぬ素敵な乗り物、それが自転車。ライト兄弟は自転車屋だったんだぜと思いながら自転車で下ってゆく坂の爽快感! この気持ちよさは萩原朔太郎も志賀直哉も夏目漱石も納得するだろう。

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