夢を描け
描くくらい好きにしていいよね。人前で発言したりSNSに書いたりしたり、描いたものを発信したりするとその時点で他人の反応が返ってくるかもしれない。その時、描いたものが嫌いにならないといいよね。いつか描けなくなる前に、何度も何度も、思い切り描けばいいよね。
夜が明けた。
明けない夜も落ちない陽もないのに、空の動きに左右される我々。人間は小さい。たくさんの日を過ごしてきたのに、いつまで経っても完璧な日は訪れない。
しかし、少しずつ前進していると信じる人間は健気。健気さって心の底から生まれるものと擬似健気があるが、自分はどちらが多いだろう。どちらの健気も尊く映ることもあるし気持ち悪く見えることもあるだろう。他人に訴えかけたところで健気さに胸を打たれる人ばかりか、寄せた期待を裏切られることもある。結局は巡り合わせかもしれない。
それは諦めか前向きなものか、受け取るあなたにはどう響くのか。良くも悪くも人生を局所的に切り取っているだけで、切り取ったものをかき集めれば何かにはなるだろう。
あなたの夜が明けたら、あなたの人生のかき揚げが食べたい。
私は何かを収集するのが好きだ。好きすぎて味わって体の中に落とし込みたいくらい。かき揚げみたいにしてさ。塩でも天つゆでもつけていいよ。あなたしか知らないんだから、闇かき揚げでもいいよ。夜が明けた時くらい、なんだっていいんだから。
巡り逢い
予想もつかないし希望もしていない。
しかし、だいたいのことは無意識下の意識が働いている気がしてならない。
だからここで逢えたのもきっと、そういうことでしょう。
どこへ行こう
問いかけるのは、
己か他人か、鳥か魚か
水面に笹の葉が落ち、揺らめき、葉先が向いた方へ
一歩、また一歩と進んでゆく
あてもなく、周囲を注意深く見渡しながら
決して楽しいものではない、一歩ずつ踏み締め続ける長旅
この足跡は誰のだろうか
踏んでいるのは本当に土だっただろうか
僕は今、どこにいるのだろうか
わからないままにするな、という声が時折聞こえる
わからなくてもいいさ、とも聞こえる
信じるものを手繰り寄せ、自分の存在を証明する
どこへ行こうと問いかけるのは、
己が信じる者でいい
君と見た景色
あの人どういう人だっけ。長く生きていると久しぶりに会う奴とは何をきっかけに会ったか思い出せないことはよくある。また、日頃会っていても初めて会った時のことを常に考えているわけではない。忘れることは人間の性質だから仕方ないけど、簡単に忘れたくないと思うのは我儘だろうか。
人によって記憶する方法に得手不得手があるという。自分が覚えている景色も、あの時君が見た景色と違うんだろう。隣にいてもたぶんそうだろう。だから、わかり合えるはずない。そう思い込むことで今は救われている。