行かないで
わたしにとってのあなたはかけがえのない存在で、
あなたにとってはそうではなかっただけ。
ただの独りよがり、閉店ガラガラ。
それなのに、言って何になるのか。
惨めな自分を惨めたらしめるだけ。
衣替え
年がら年中同じ服を着ていた。一々服を選ぶのも面倒だし、寒ければ一枚足して暑ければ一枚脱げばいい。そんな自分をひけらかす訳ではないが、こっそり合理的な人間だと思っているところがあった。そうだ、今は思っていない。
そろそろ同じ服35号の糸が解けてきたから285号を買い足さないとと思っていた時のことだった。寒くも暑くもなく、同じ服のベースとなる服で事足りる気温のはずなのにやたらと汗ばんでいた。カイロや温感シップを使うことはまずあり得ない。何故だ。手当たり次第、服の上から自分の体を触ってみても異常は無さそうだ。ひとまず一枚脱いだ。それでもまだ暑い。念のため熱を測るが平熱。もう一枚脱いだ。まだ汗が滲み出て冷えることを知らない。何枚も何枚も脱いだ。まだ暑い。一体どういうことだ。
やがて裸になった自分を久しぶりに鏡で見たところ、同じ服がすっかり皮膚に癒着してしまっていた。あまりにも同じ服を着すぎたのか。このままでは服を着なくても過ごせるが裸のままではバレたら大事だ。流石に頭を抱えた。
ふと、同じ服が入っている箪笥の隣、昔々に使っていた服が入っている箪笥を見つけた。ものは試しと子供用の短パンを無理やり足に通してみた。すると皮膚と同化していた同じ服がペロンと剥がれ落ちた。同じ服を着続けることは合理的でもなんでもなかったのだ。
同じ服284号を着込み283号までの同じ服をまとめて袋に入れ、ドンドンダウンに売りに行った。品は良いものだったのでそこそこの金になった。金はドンドンダウンの中で循環し同じ服が入っていた袋には春夏秋冬の服が入る結果となった。こんな出来事、越して行った友に伝えずにはいられない。一週間後、私は書き終えた手紙を投函した。
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友へ
すっかり秋の頃、いや、夏と秋を行ったり来たりしている気もするが、ともあれいかがお過ごしだろうか。こちらは衣替えをして服が癒着することもなく過ごせている。同じ服は一着だけになってしまったが、たまに眺めてはあの日々を懐かしく思うよ。君も癒着をしてしまった時は別の服を着るしかない。だから私と最後に会った時に着ていた服は絶対に捨ててはならない。いいね?
君の友より
———
声が枯れるまで
部屋に一人篭って青白いモニターの前でキーボードをカタカタやってる。テレワークになって2年は経っただろうか。ただ家で仕事をしているだけなのに曜日感覚や時間経過の感覚が薄れていくのは何故だろう。一人暮らしでテレビもない。触れるメディアといえばSNSか。耳が淋しければラジオを聞くこともあるが毎日決まった時間に聞いている訳でもない。本当にただの気まぐれ。
これといった矜持がある訳でもない仕事を毎日決まった時間、カタカタやったら日が暮れている。味なんてあったものではない。無味無臭の劇薬とは己そのものかもしれないと、まるで思春期特有の尖った自我の総称のようなことを思う。それとは真逆で、このままでは風景に同化して消えてなくなってしまいそうなくらい、自我が薄れているようにも思える。こういう時に湧き上がるのが承認欲求なのかもしれない。自分はここにいると誰かに証明してほしい。気づいて欲しい。手っ取り早く済むのはSNSかもしれないが、あれもまた知識と技がないと中々バズれない。と、なると自分の承認欲求を満たすにはどうすれば良いのか。
ただ目の前の画面に向かって叫ぶ。声が枯れても知るものかと、自分でも驚くような大声で叫ぶ。すると隣室からドォン、という怪獣が一歩踏み出したかのような音が聞こえる。ああ、今日も居てくれたか。
玄関の方でカタリと何かが投函される鳴る音がした。モニターの隅にあるデジタル時計を見れば丁度15:00だった。一休みするかとポストを開いて見ればA4サイズのコピー用紙に赤いクレヨンで「67てん」と書かれていた。この前は「40てん」だったから、評価が上がったようだ。ミミズの這ったような字からして子どもだろうか、割と辛口だ。しかしいち叫び手として評価を得られることを素直に喜んでしまっている自分がいる。この波風とは無縁の凪のような生活の中では既にかけがえのないもので、隣室の誰かにとってもそうであったら良いと、密かに願っている。
見つからないものが空を見上げたらあった
星座
踊りませんか?
暑気払い。久しぶりの畳の感触をじっくり味わう余裕もなく、ひたすらに酒を煽り何かを忘れようと必死だった。意図している訳ではない。自然と体が動いていた。周囲に囃し立てられたり気遣う声をかけられても意に介さず、ただひたすらに。チェイサーなんて思考の埒外で、まだ30分も経っていないのにビールジョッキが4,5杯並んでいた。
周囲でガヤガヤ言っている連中に分け入ってアイツがやってきた。隣に座っている後輩を払いのけ有無を言わさずドカリと腰を下ろす様はどう見ても酔っているようだった。開口一番「八つ当たりか?」と。ああ、そうかもしれない。これは得体の知れない何かに対する行き場のない気持ちへの八つ当たりなのだ、と酩酊し始めた頭でぼんやり思った。するとアイツはこちらの手を強引に握り立ち上がらせようと引っ張り上げてきた。何をするのかと声を上げれば「んなもん、踊らにゃそんだ!」と。無論ダンスなんて学校行事でしか経験がない。なので「それも楽しいかもな」と思ってしまった自分はどうかしていて、立ち上がり衆目に晒されながらもアイツに合わせて体を動かした。すると、まるで導かれているかのように足が動きだした。いつの間にか座布団やテーブルが片付けられていた。動くたびに畳に靴下が擦れ、これは店に怒られるかもなと薄ら思った。でも、楽しい。調子に乗ってたくさん踊った。サルサ、スローフォックストロット、ブレイク、コンテンポラリー、など。自分はこんな動きまでできてしまうのか。アイツとならどんな世界でも行けそうな気がしていた。
そこからの記憶はなく、気づいたら自室の布団の中。頭がどうにかなりそうなくらい痛い。習慣化された少ない動きで寝床に備えられていたスマホを取るとちゃんと自分のものだった。LINEを開くと幾つか届いているなかで、アイツからのスタンプが押されただけのメッセージが目に入った。既読するか迷い、痛い頭で親指を長押しする。そこには知らないキャラクターとともに「踊りませんか?」と戯けた文字のスタンプが。すぐにメッセージ画面を開き「覚えてない」と返す。すると透かさず返信が来る。「踊りませんか?」と。何度も何度も来る。アイツは気が触れたのか。いや、いつものことかもしれない。放っておくことにした。とりあえず薬を飲んで寝よう。これから先、何かが起こる予感に期待を込めて。