雨燈宿

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5/4/2026, 2:15:41 PM

耳を澄ますと、泣き声が聞こえた。
どこか遠くで誰かが悲しんでいる声だ。
耳を澄ますと、悲しみが聞こえた。
夜の街の何処かで、誰かが苦しんでいる。
耳を澄ますと、笑い声が聞こえた。
誰かの生活の中にある幸せの音だ。
耳を澄ますと、喜びが聞こえた。
夜の街の何処かで、誰かが踊っている。

耳を澄ますと、歌声が聞こえた。
遠くとおく、届けたいと願う声だ。
耳を澄ますと、足音が聞こえた。
どこかに行きたいと願う強い声だ。
耳を澄ますと、寝言が聞こえた。
誰かの頭の中を見てしまったようだ。
耳を澄ますと、風が吹いていた。
この街の空気は入れ替わり、朝へと向かう。

耳を澄ますと、この街の息吹が聞こえた。
街の呼吸に合わせて、世界は今日も明日へと向かう。

5/3/2026, 4:04:36 PM

 衝動的だった。
 あいつは俺の家族を、俺の人生を、俺の故郷を、俺の友人をバカにした。俺を形作る全てを嘲笑い、なにもかもに泥を塗ろうとした。衝動的だったんだ。目の前に転がる死体を見ながら、俺はぼんやりと考えていた。
 あいつはもう動かない。血溜まりはもう大きくならない。あいつに殴られた頬の痛みが戻ってくる。部屋の中には冷たくとも生暖かい、異様な空気が漂っていた。
 刑事ドラマでよく見るような死体とは全く違う。人の死とは思ったより異質なものだ。さっきまで殺してやりたいくらいにくかったあいつの死体は、今は気の毒になるほど寂しかった。苦しい。くるしい。吐き気が込み上げてきて、俺は床を汚した。
 冷たい息を吸うと、現実的な考えが俺の頭を支配した。この死体をどうしよう。俺は捕まるのだろうか。母さんは泣くのだろうか。どうしよう。どうしなければならないのだろう。隠すべきか、話すべきか。警察を読んだほうが良いのか? 苛立つくらい眩しい夕日の中、俺は途方にくれるしかなかった。
「……なにしてるの?」
 静かな部屋の中に、鈴のような声が響く。どうしよう。バレた? 口封じすべきか。それとも、いや誰なのかを確認しないと。焦りながら振り向くと、そこには美しい笑みを浮かべる学校のマドンナがいた。
「なんで、こんなところに?」
「なんだか、体調が悪そうな声が聞こえたから」
 彼女は顔色一つ変えずこちらに近づいてくる。血と吐瀉物の臭いでひどいことになっているはずなのに、彼女は何も気にしていないようだ。死体を見ても大した反応を見せることはなく、その美しい顔をこちらに向けている。
「大丈夫? 吐いちゃったんだ。顔拭く?」
「……いや、いいよ。自分で拭く」
「そっかぁ、いい子」
 人を犬みたいに扱いやがって、と思うも、彼女の異質な態度に背筋に寒いものが走る。普段の優しい態度を崩すこと無く、笑顔で現実と向き合っていた。俺は吐き気と罪悪感と戦っているというのに、彼女は普段となにも変わらない。
「殺しちゃったの?」
「……ああ」
「頭を鈍器で1発、よくやったね」
「そうか」
「……協力しようか?/」
「なにに、だ」
「なにもかも」
 そこからはよく覚えていない。顔を拭いて、ふたりでなんとか全部片付けて、それから?
「大丈夫、だいじょうぶ。君は何も悪くないよ」
 そうやって抱きしめてくれた感覚だけが夢心地の身体に残っている。
「ね、二人だけ。ふたりだけのひみつにしよう?」
 そうだ。誰にも話してはいけない。誰かに話したら二人は犯罪者になってしまう。
 だから、そう。あの妙な時間も、夢も、共同作業も、全部二人だけの秘密だ。

5/2/2026, 2:02:49 PM

 君はいつだって優しかった。
 友人の相談に乗るとき、迷子の子供が泣いているとき、道で誰かが困っているとき、そして――俺と話すとき、君はいつも優しかった。
 知らない人が行方不明になったというニュースを見ると苦しそうな顔をした。有名人のSNSへの誹謗中朝にいちいち心を痛めていた。自分のことなんてどうでも良さそうな顔をしているのに、他人の悪口を聞くたびに怒って、それを言った奴らの元へ向かっていく。誰のために自分の人生を使うのが好きな人だった。
「なんで、そんなに優しくなれるの」
 そう聞いてみたことがある。君は少し困ったような顔をした後、
「だって、それしか取り柄がないもの」
と笑っていた。
 俺から見れば全然そんなことはなかった。笑顔が綺麗で、誰とでも仲良くなれて、強く、美しく、それでいて明るい魂を持っていた。どんな偉人よりも素晴らしい人だと、俺はいつも思っている。
 君は、俺の隣で寝息を立てている。いつも誰かのために向けられる心が、このときだけは君自身のことを見る。できるならいつもそうであれと願うが、やはりそうあれない君のことが好きなのだと、自分の身勝手さに苦笑した。時計の針はちょうど0時を回ったところだ。
 君にいらない気苦労を強いるこの世界が嫌いだ。君に全部を押し付けて、都合の良い使い方をしている全員が嫌いだ。君が君自身を大切にする心を忘れさせる太陽が嫌いだ。君のことを傷つける全部のことが、嫌いだ。嫌いだ。嫌いだ!
 もし君に何かがあったらどうしようかといつも考える。君は優しいから、いつか自分の命まで賭けて何かを助けようとするんじゃなかろうか。そしたら俺はどうしようか。今以上にこの世界を恨むことしかできなくなりそうだ。そんな俺のことを君は叱るのだろうか。
 この世界の全部を犠牲にしてでも君のことを救いたいけど、この世界の全部を愛している君のことが大好きだ。
 君を大事にしようとすればするほど、君がそれを邪魔しようとする。邪魔してくるような君のことが好きで、そんな自分のことが嫌いだ。
 考えるのはつかれた。もう寝てしまおう。君はもう寝てしまっているのだから、俺が起きていたってしょうがない。明日の朝ご飯はなんだろうか。明日はどこに行くのだろうか。君は優しくてしょうがないけど、存外自我は強かった。
 ……君は、俺が居なくても生きていける。
 俺と一緒に暮らさなくても、俺が守ろうとしなくとも、俺が側に居てやらなくとも、君は自分の足で歩いて行けるのだ。じゃあ、俺がいる意味ってなに。君を大事にする理由ってなんだ。俺がしたいから、そうしているだけだ。君に受け取る義理なんて無いのに。
 こんなことを考えてしまうこの時間がにくかった。君が起きていれば気が紛れたのにと身勝手なことを考える。日が変わるくらいの時間は、全人類が柄にもなくセンチメンタルになる時間ではないのか。
 ふと、君の目がゆらり開く。まばたきに合わせて長い睫毛が揺れる。暗い部屋の中で、君の目だけが輝いているような気がした。
 君はゆっくりと手を伸ばして、俺の頬を撫でた。
「まだ起きてたの?いけないよ、夜は寝なくっちゃ」
「……別に、寝られなかっただけだ」
「じゃあ話し相手になってあげようか」
「いや、君は眠いんだろう。寝るべきだ」
「はは、君は優しいなぁ」
 君の柔らかい声が、夜の輪郭を撫でた。冷たかった空気が一転して温かさを増していく。俺のことを優しいなんて言うけど、そんなの嘘だ。だって、俺は君以外に優しい人のことを知らない。
「それじゃあ、君も一緒に寝てよ。一人の夢はつまらないの」
 そうして、君の暖かい手が俺の視界を遮った。徐々に眠気が迫ってくる。同時に、愛おしさで胸がいっぱいになる。
 俺はいつか殺されてしまうだろう。そこに悪意など必要ない。誰かに裏切られる必要もない。この世界を取り巻く暗闇でさえ、俺の命には届かないだろう。それでも俺は、殺されてしまえる自信がある。
 ただ、君が俺に向けてくれる優しさだけで、きっと。
 暖かい暗闇の中へと、意識が落ちた。

5/1/2026, 8:45:27 AM

君が幸せになれますように
君の夢が叶いますように
君がそうあれる場所があるのなら
そこをきっと楽園と呼ぶのでしょう

君のとなりに 君の心に
寄り添い続けられるのなら
それは それは なんと素晴らしい
私の楽園であるでしょう

君は幸せにならなければならない
これ以上苦しみを背負ってはならない
それでも君はこの幸せから抜け出して
尚泥臭く足掻くのでしょう

自由に足をとられながらも
それでも飛び立つあなたの姿が
私の一番の光です
眩しくて目が潰れてしまう

楽園から駆け落ちをして
二人でどうにか生きられたなら
それは それは とても得がたい
二人の楽園になるでしょう