雨燈宿

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 衝動的だった。
 あいつは俺の家族を、俺の人生を、俺の故郷を、俺の友人をバカにした。俺を形作る全てを嘲笑い、なにもかもに泥を塗ろうとした。衝動的だったんだ。目の前に転がる死体を見ながら、俺はぼんやりと考えていた。
 あいつはもう動かない。血溜まりはもう大きくならない。あいつに殴られた頬の痛みが戻ってくる。部屋の中には冷たくとも生暖かい、異様な空気が漂っていた。
 刑事ドラマでよく見るような死体とは全く違う。人の死とは思ったより異質なものだ。さっきまで殺してやりたいくらいにくかったあいつの死体は、今は気の毒になるほど寂しかった。苦しい。くるしい。吐き気が込み上げてきて、俺は床を汚した。
 冷たい息を吸うと、現実的な考えが俺の頭を支配した。この死体をどうしよう。俺は捕まるのだろうか。母さんは泣くのだろうか。どうしよう。どうしなければならないのだろう。隠すべきか、話すべきか。警察を読んだほうが良いのか? 苛立つくらい眩しい夕日の中、俺は途方にくれるしかなかった。
「……なにしてるの?」
 静かな部屋の中に、鈴のような声が響く。どうしよう。バレた? 口封じすべきか。それとも、いや誰なのかを確認しないと。焦りながら振り向くと、そこには美しい笑みを浮かべる学校のマドンナがいた。
「なんで、こんなところに?」
「なんだか、体調が悪そうな声が聞こえたから」
 彼女は顔色一つ変えずこちらに近づいてくる。血と吐瀉物の臭いでひどいことになっているはずなのに、彼女は何も気にしていないようだ。死体を見ても大した反応を見せることはなく、その美しい顔をこちらに向けている。
「大丈夫? 吐いちゃったんだ。顔拭く?」
「……いや、いいよ。自分で拭く」
「そっかぁ、いい子」
 人を犬みたいに扱いやがって、と思うも、彼女の異質な態度に背筋に寒いものが走る。普段の優しい態度を崩すこと無く、笑顔で現実と向き合っていた。俺は吐き気と罪悪感と戦っているというのに、彼女は普段となにも変わらない。
「殺しちゃったの?」
「……ああ」
「頭を鈍器で1発、よくやったね」
「そうか」
「……協力しようか?/」
「なにに、だ」
「なにもかも」
 そこからはよく覚えていない。顔を拭いて、ふたりでなんとか全部片付けて、それから?
「大丈夫、だいじょうぶ。君は何も悪くないよ」
 そうやって抱きしめてくれた感覚だけが夢心地の身体に残っている。
「ね、二人だけ。ふたりだけのひみつにしよう?」
 そうだ。誰にも話してはいけない。誰かに話したら二人は犯罪者になってしまう。
 だから、そう。あの妙な時間も、夢も、共同作業も、全部二人だけの秘密だ。

5/3/2026, 4:04:36 PM