ジーキャー

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1/4/2025, 11:07:57 AM

 幸せとは何だろうか。人目を気にすることなく、独り言を呟けることだろうか。
 一年中、マスクをしなくても、日々を過ごせることだろうか。
 お金の心配をすることなく、気兼ねなく使っていけることだろうか。
 冬の布団の中で温もりに包まれていることだろうか。
 寝坊の心配をすることなく、睡眠を楽しんでいられることだろうか。
 好きな香りを心行くまで楽しむことだろうか。
 嫌な記憶を思い出すことのないことだろうか。
 食べ物によるアレルギー反応が出ないことだろうか。
 平和な日々を過ごせることだろうか。
 憂鬱な日が来ないことだろうか。
 病院に通わないで済むことだろうか。
 不安を一切抱えることのないことだろうか。
 カフェに行きのんびりと過ごすことだろうか。
 幸せについて自問自答を繰り返してみても、納得のいく答えというのは出て来ない。
だけどもそれは、誰かの悪意によって容易に破れ去ってしまうものかもしれない。
 そのように儚いものだとしても、人は皆幸せを追い求めていくのだろう。
 本当の幸せかどうかは別にしてーー。

ーー本当の幸せとは、人間の持つニーズが満たされることではないだろうか。
あるいは、小さな幸せを共有できることなのかもしれない。
どちらにしても、本当の幸せというのは、欠けているものが満たされることであるのかもしれないのだからーー。

1/3/2025, 10:27:05 PM

 日の出はいつの時代でも昇ってくるもの。そして、夕焼けと共に沈んでいくいくもの。
 新しく昇ったからと言って目出度いものなのだろうか。
気に留める価値は果たして有るのだろうか。ただ昇り沈んでいくものに対して。
 ただ単に世界を照らす天然の日光に対して。あるいは、太陽の神々への礼拝だろうか。それならば無力な偶像に過ぎないのに。
 近づく者を緋を抱くように火で焼かれたのは、イカロスだったのではないだろうか。有名な話である。
 日の出と共に起き、日の沈みと共に眠る。それが人間と自然の営みであった。電気が世界中に普及されるまでは。
その営みが崩れてきてしまっている。不夜城という言葉が生まれるぐらいには。
 太陽は昇る。雨雲に覆われていたとしても。
 太陽は沈む。夜を地上にもたらすために。ただ存在するのだ。
 平日だろうと休日だろうと関係ない。ただ地球を公転するために回り続けている。それが太陽なのである。
 例えそれが鮮明な瞬間だとしてもーー。

1/2/2025, 11:18:15 AM

 私の今年の抱負は、毎日、何かしら書いていくことだろう。
「書いて」でもそうだし、「書いて」以外のものもある。少なくとも一作は書いていこう。
 手書きのものをキーボードに打ち込みながら。
 お題に沿いながら、あるいは敢えて離れて。エッセイや物語を書いていきたい。
アマチュアでも私は作家なのだから。書いていこう。自分に合う書き方をしながら。
 モーニングノートでジャーナリングをして。有りたい姿を書き出していこう。未来はどうなるとしても。時代の狂風が牙を剥いてくるとしても。諦めることなく進んでいこう。
スモールステップで。小さく始めて、コンフォートゾーンを拡げていこう。それが今の私にできることだからーー。

1/1/2025, 11:02:46 AM

 年が新しくなった。だからなんだと言うのだろうか。ただ単に日付が変わっただけでしかないのか。
一月一日のリセットされる。何もかも。十二月三十一日から。大晦日から年明けに。
 厄がリセットされれば良いのだが。実際には変わらない。厄というのはそのまま残っている。どうすれば落とせるのだろうか。
 世界はどう変わっていくのか。誰も予測することができない。強風が吹き散らかすかの如く。
しかし、ますます悪くなってくるのだろう。時代は狂いに来ている。狂わさが増していく。
 狂気の恐慌が存在している。王のように皆が振る舞っている。終わることのない酔いに酔い痴れてしまっている。哀れなことに。
醒めてしまうのが恐いのだ。庶民であることを突きつけられてしまうがゆえに。
 終わることのない戦争。響く爆撃音の知らせは世界に満ちている。聞かない日は無いほどに。
見えない終わりを目指して。しかし、それまでの歩みは糸の綱渡りであるかのよう。
いつ切れてしまうか分からない。時代の狂風が吹きつけるかも分からない。墜ちてしまう恐怖との戦い。心理的に大きい負担。それは計り知れない闇の中。
嗚呼、皆が囚われているのだ。時代の闇に。もがき苦しんでいるのだ。光が差さない深すぎる闇へと。
 救いの手はどうすれば掴むことができるのか。それは自分が動かないと分からないーー。

ーー世界は終わりへと向かっていく。どんな未来になるかは分からない。しかし、狂った時代の闇は終わりを定められているのである。それがいつかは誰も知る由も無いーー。

12/31/2024, 12:24:09 PM

 良いお年を。良い年と言うのは何だろうか。ただの日々に過ぎないと言うのに。
 私にとっての日々は小さな変化の連続である。自分が起こせる小さな変化。その日々を楽しんでいる。
 他人に起こされる変化は好まない。あくまで自分が起こせるものだけ。それを楽しみのだ。
 ゲームだったり運動による筋トレなど。後、日々の自炊で何を作るか。最近はパスタだがね。
それと「書いて」のお題で何を書くのか。エッセイなのか。物語なのか。これはお題次第なのだが。左右されてしまうのは仕方ないことだがね。
 来年はどうなるのかは分からない。誰も予期することができない。良いことも悪いことも含めて。
 できるのは、それに備えてリカバリーを自分なりにすること。対処するしかない。先手を取れなければ後手に回るしかないのだから。
ならばせめて、後手の先手を取りに行きたいものである。すべてを、知れる限りのことをして、諦めるとしてもーー。

ーー先に諦めてしまうのは容易いこと。しかし、希望を見てから、諦めてしまうのは良くない。希望を目指した果てに諦めればいい。例え、どんな結果になるとしてもーー。

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