彼女は独りだった。独りでも気にすることはなかった。寂しさを感じることは無かったから。
ある日のことだ。ショッピングモールを歩いていると、ぬいぐるみ屋を見つけた。
普段なら、素通りするはずだった。けれど今回だけは違った。何か惹かれるものがあったから。それが何なのか、彼女は分からなかった。
しかし、入らないわけには行かない。彼女は惹かれるがままに、導かれるようにして、店内に入っていく。
そして、出会った。一匹の黒猫のぬいぐるみに。子猫のぬいぐるみに。
それを見た瞬間、買いたいと思った。欲しいと思った。値段も手ごろだ。
彼女は躊躇うこと無く、子猫のぬいぐるみを手に取ると、会計を済ませて店を出た。
そして、帰宅するとベットの上に置いた。そこを定位置とするかのように。
彼女は独りだった。けれど、今は独りじゃない。黒い子猫のぬいぐるみがいる。喋ることも動くこともできないが。
それでも、彼女に癒やしを与える存在となっているーー。
秋風が吹いている 涼しさを帯びた風が紅葉を散らしていく
秋風が吹いている 寒い時へと向かう風が 静かに吹いている
秋風が吹いている 秋晴れの下を 夕焼けの下を 夜空の下を 駈けていく
秋風が吹いている 海も 大地を 山を 越えて ただ吹いている
秋風が吹いている 葉を 草を 木を 花を 揺らしながら ただ吹いている
彼女は望んでいた。彼にまた会うことを。しかし、それは叶うことは無い。
彼は離れて行っていた。もう二度と会うことは無いことを理解していた。
「また会いましょう」そう願っていても、もう会うことはできない。
誰も生贄にしてくる場所に戻りたいとは思えない。
悔やんでも悔やみきれるものではない。
今ではもはや、過去の栄華のみが花咲く所となっている。枯れ木によるぬるま湯。そして、冷めていくことを確定されている。
彼は彼女のいる地に行くことは二度と無い。どれだけ彼女が願おうとも。
再会を願う幻想はもはyパラノイアと化している。そのことに気づいているのは彼だけ。
彼独りだけがそのことに気づいているーー。
ーー或いはそれが彼だけのパラノイアなのかもしれない。
彼によるパラノイアだとしても、彼がいたデータと不在になった後のデータ。
二つを見比べれば、彼が生贄にされていたことは、一つの明白なのであるーー。
人というのは、人生が詰まらなくなるとスリルを求めがちになるのかも知れない。
退屈な日常から抜け出そうとして、ぬるま湯から出るかのように、スリルを味わいたくなる。
だが、スリルに呑まれるという可能性を考えているだろうか。自分はスリルに呑まれるわけがないと、思い込んでいないだろうか。
日常の中に潜むスリル。そんなにスリルが欲しいのならば、日常の中からスリルを見つけ出してみるといい。
分かりやすいものや、分かりづらいもの。
それらを根気強く探し抜いてみればいい。
薬は毒に、毒は薬に。それぞれ変わるもの。
身体を傷つけるスリル。精神を傷つけるスリル。どちらのスリルにするのか。
スリルを求めるあなたは、どんなスリルを楽しみたいのだろうか。
それは私の知る由もないことだーー。
それは羽ばたかないと思われていた。
羽根が傷ついているわけじゃないのに、弱かったから。
けれど、それは力を蓄えていただけだった。
長い長い間、ずっとずっと。果てのない時間を。
羽ばたけない鳥として、揶揄われながらも。
だがしかし、揶揄われる時間は終わりを告げる。
彼らがいつもと同じように揶揄おうとしていた時、その時はやって来た。
飛べない翼を持つはずの鳥。その鳥が羽ばたき、見下ろすようにチラリと見て、飛び去っていったのだ。
そして、揶揄っていた者たちは衝撃を受ける。
飛べない翼を持つ鳥がいなくなったことで、責任を追及された。何度も何度も幾度となく。
まるで、揶揄っていた鳥がいなくなることで、仕返ししているかのように。
否定しても否定しても、追及の手は止まない。幾度となく責め立て続けられる。そして、彼らはすっかり変わってしまった。
一方その頃、飛べないと思われていた鳥は自由に翼を羽ばたかせて大空を飛んでいた。
風の噂程度だが、揶揄っていた者たちはノイローゼになってしまい、力を失ってしまったようだ。因果応報である。
倒れてしまった者と、倒れなかった者。揶揄っていた者と飛び去った者。
全てを受け入れる大空の下、飛べない翼を持っていた鳥は羽ばたいていくーー。