友達に会う。その時間はかけがえのないものになっていく。
どんな関係だって、結婚していても、未婚であっても、同性でも、異性でも、仲良くなれば、皆友達になる。
友達になるのに年齢は関係ない。どんな出会いをしたかなんて些細なもの。
些細な切っ掛けで会話が始まり、気が合い始めて、仲を深めていく。一方的に話すのではなく互いの話を聞き合うために。
時には沈黙することもあるだろう。でも、沈黙したからといって友達じゃない訳ではない。
再び話し合う時を待つのも、また友情なのだからーー。
行かないで。と言われても、私は行くだろう。眠りにつくように。
夢の世界。そこは記憶の整理が成されているところであり、創造の根源とも言える場所。
夏目漱石の「夢十夜」のように、不可思議な体験ができる場所。
明晰夢の持ち主でないけれど。この夢の体験を書き留めよう。
現実の中では荒唐無稽であろうとも、夢の中においては、意味を成す前の状態とも言えるのではないだろうか。
原子の集合体として、我々が存在しているかのように。原子が集合する前の状態が荒唐無稽の状態ではないだろうか。
無知の中の知という言葉があるように、無意味の中に意味があるのではないのかね。
意味を強く見出そうとするべきではないのだよ。ふとした時に意味というのは現れるのだから。
それはまるで、川の中を泳ぐ魚のよう。意味という魚を捕らえようとするもの。無意味という川の中において。
夢というのは流れゆく記憶なのかもしれない。流れに沿って行けば、記憶はやがて定着へと至れるのかもしれない。
実際はどうなのか、私は知っていると言えないのだ。
人にはそれぞれ個人差があるのだからーー。
鳥が飛んでいる。青空の下を。どこまでも続く空の下を。
駆けるように飛んでいる。羽ばたいている。一羽か、それとも群れかは分からない。
どこまでも澄んだ青空の下を滑るように飛んでいる。舞うかのように。遊ぶかのように。
小さな雀も大きな鷲も。青空は等しく抱擁する。雄大な青空の元には誰が向かうのだろう。
大地の嘆きも悲しみも、気にすることなく、気に留めることもなく、ただ青空は抱擁を広げるのみ。
白雲の鎖を、雨の黒雲も何もかも、青空の抱擁を止めることはできないのだからーー
ーー鳥を見るたびに、彼女は思いを馳せる。あの鳥はどこへ向かうのだろうか。
昔のイカロスのように、太陽に焼かれて終うのか。それとも、青空のその先へ向かって行くのだろうか。
その答えは、誰も知ることはないーー。
夏が過ぎ、秋が深まる頃。その時は訪れる。寒くなるがゆえにやってくる。
半袖の季節から、長袖の季節へと。移ろうがゆえにやってくる。
衣替えの時がやってくる。衣類の入れ替えの時がやってくる。
薄手の生地から、厚手の生地へ。防寒を重視したものへと。
毛布の時がやってくる。秋が深まり、冬の始まり。それを象徴するかのように。
生命の眠りゆく季節に備えて、温もりを保つ。
寒さから身を守るために、厚着をする。
冬の時を目覚めている者にとって、それは必要なこと
。冬の寒さを乗り切るために。春の暖かさを夢見ながら。
衣を替えてゆく。寒さの日々を快適に過ごすために。
彼女は泣いていた。友人が彼女に寄り添っている。慰めるために。
彼女は泣き止まない。恋が破れたショックは大きいから。
声が枯れるまで彼女は泣き続ける。涙の湖を作り出すかのように。
彼女の願いは叶わなかった。ずっと彼の側にいられると思っていた。
友人たちと三人で。それなのに彼は去っていった。
彼女の元から。友人の元から。一方的に別れを告げて。行方をくらませた。
ネットでの繋がりは厚くなことが難しい時代に。
彼女は涙を流し切った。頬には涙の痕が残っている。友人は彼女のことを慰めてくれた。病弱の身なれど。
声が枯れるまで泣き喚いた後は、目の前のことに目を向けることができる。
今度は自分が友人の身を助け、支える番だーー。