ジーキャー

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10/10/2024, 11:06:58 AM

 それは異質な光景だったーー。
 とある村の丘の上には、村を見渡すように一つの石像が置かれていた。
その石像の顔から涙の痕があったのだ。
その日には雨も降ってもいない。近くに水源は無い。だというのに、石像の顔に涙の痕が残されている。
 これは一体どういうことなのか。偶然そうなっていて今日たまたま気づいただけなのか。
あるいは何か不吉なことの前触れとして、石像が涙を流したのか。
それとも単に誰かの質の悪い悪戯なのか。
 いずれにしても、石像を祀っていた村では大騒ぎとなった。
 本来ならば頼りになるべき大人たちがざわめき、子供たちは大人たちの異変に不安に駆られ、泣く者まで出ていた。
 石像の涙からの大騒ぎに波紋が生じていた。
 だが、突然その波紋は静まることになる。一人の詩人がギターを鳴らしたから。
 そして、詩人は語り始める。
石像にまつわる悲恋を。乙女の憂いを。騎士と悪魔の所業を。
 詩人が語り終えると静まっていた村人たちは一斉に歓声を上げた。
 詩人の語りが素晴らしかったのもあるが、古くからある伝説を思い起こさせたから。
 すなわち、乙女と騎士と悪魔の伝説を。
 歓声を上げ終えた村人たちは詩人に感謝した。あのまま騒然としていたら、村がどうなってしまっていたのか分からなかったから。
もしかしたら、伝説の中にいる悪魔の手によって、疑心暗鬼に陥ってしまいかねなかったから。
その危険性を無くしてくれたことに村人たちは感謝していた。
 その感謝を背に詩人は別の地へと去っていったーー。 

10/9/2024, 11:27:27 AM

 私のココロはオドルことはできているだろうか。
ココロはオドったことはあっただろうか。
 そもそも、ココロオドルって、どんな感覚なのだろうか。
ウキウキしてワクワクすることだろうか。
 そう言えば、ココロオドルという曲があった。色々なMADが作られていたな。
私が知る切っ掛けとなったのは、クレヨンしんちゃんのマサオオドルだったような気がする。そこからココロオドルの替え歌から本家を知ったんだったか。
 今でもボイスロイドとかでもカバーされているな。ホロライブでも。
名曲だからこそ、そこまで広がっているのかもしれない。良い曲だと私も思う。
 よく聞いてた替え歌は侍が歌うバージョンだったか。侍風にアレンジされていて良いアレンジだと思う。リズムに合わせてホラガイを吹いているシーンとかな。 
 そう言えば、このお題のココロオドルも曲名から引用しているのかもしれない。
真相は誰にも分からないが、推測することはできるのだからーー。

10/8/2024, 10:40:15 AM

 仕事の合間を縫って、休息の時間を作り出す。それが束の間だとしても。
 水分補給に水を一口飲む。味が付いてると余計に飲んでしまうことに気づいたから、ただの水だ。それで十分補給できる。
 時には、クエン酸の喉飴を一つ。簡単に噛み砕けるし、疲れた身体にちょうど良い。
 時間が得られた時には、軽く目を瞑りうたた寝する。それでなければ身体が持たない。ただでさえ体力が低下しているのに、無理はできない。
 うたた寝しない時は、ノートを持ってきている時は、文章を書く。暇つぶし感覚で、お題に沿って書いてみる。オチは付かないとしても。
 それが、束の間の休息に私がしていること。誰にも分からない。ここで独白している。
 長時間の休憩ではなく束の間。だから、ほんの少しの休憩。
 それで、長く働いていけるのだから、狡くは無いだろう? やるべきことは終えているのだからーー。

10/7/2024, 10:54:44 AM

 力を込めて、私は何をしたいのだろう。何に力を込めたいのだろう。
 その力とは何か。純粋な力か体力か。それとも、知力か瞬発力か。
 私が伝えたい力とは何だろう。込めたいものとは何だろう。
 何事にも疑問を抱くことか。疑問を抱いて、解決する。推理力か。
 私が込めたいというより、鍛えたいのは文章力だ。長文を書くための力だ。
 イメージしたものを文章にするための力。それを鍛えたい。微力ゆえに。
 思い描くストーリーを形にしたい。小さな欠片だとしてもーー。

10/6/2024, 10:56:29 AM

 枯れた花を見ていていつも想うのは、この花が生き生きと咲いていた頃はどんな花だったのかということ。
 どんな風に咲き誇り、どんな虫たちが近くにいたのか。その花が何を見ていて、何を言うことができたのか。
 過ぎる日々を想うのも悪くはない。追憶の美しさに魅了された詩人がいるように、私もまた枯れてしまった花を追想している。
 花はいづれ咲き誇り終えて、枯れてしまうもの。だとしても、その美しさは見る人々の記憶の中に残されている。
 その花は何故枯れてしまったのか。何故倒れてしまったのか。事実はどうであれ、想像するのは楽しいもの。対象となるのは花以外でも同じ。
 そこに咲いている花はどこから来て、どこへ向かうのか。
 空を飛んでいる鳥はどこから来て、どこへ飛び立つのか。
 吹いている風はどこから来て、どこに去っていくのか。 
 照らしている月はどこから来て、どこを照らしていくのか。
 それは誰にも分からない。けれど、想像し想うことはできる。それを人は楽しみにすることができるのだからーー。

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