仕事の合間を縫って、休息の時間を作り出す。それが束の間だとしても。
水分補給に水を一口飲む。味が付いてると余計に飲んでしまうことに気づいたから、ただの水だ。それで十分補給できる。
時には、クエン酸の喉飴を一つ。簡単に噛み砕けるし、疲れた身体にちょうど良い。
時間が得られた時には、軽く目を瞑りうたた寝する。それでなければ身体が持たない。ただでさえ体力が低下しているのに、無理はできない。
うたた寝しない時は、ノートを持ってきている時は、文章を書く。暇つぶし感覚で、お題に沿って書いてみる。オチは付かないとしても。
それが、束の間の休息に私がしていること。誰にも分からない。ここで独白している。
長時間の休憩ではなく束の間。だから、ほんの少しの休憩。
それで、長く働いていけるのだから、狡くは無いだろう? やるべきことは終えているのだからーー。
力を込めて、私は何をしたいのだろう。何に力を込めたいのだろう。
その力とは何か。純粋な力か体力か。それとも、知力か瞬発力か。
私が伝えたい力とは何だろう。込めたいものとは何だろう。
何事にも疑問を抱くことか。疑問を抱いて、解決する。推理力か。
私が込めたいというより、鍛えたいのは文章力だ。長文を書くための力だ。
イメージしたものを文章にするための力。それを鍛えたい。微力ゆえに。
思い描くストーリーを形にしたい。小さな欠片だとしてもーー。
枯れた花を見ていていつも想うのは、この花が生き生きと咲いていた頃はどんな花だったのかということ。
どんな風に咲き誇り、どんな虫たちが近くにいたのか。その花が何を見ていて、何を言うことができたのか。
過ぎる日々を想うのも悪くはない。追憶の美しさに魅了された詩人がいるように、私もまた枯れてしまった花を追想している。
花はいづれ咲き誇り終えて、枯れてしまうもの。だとしても、その美しさは見る人々の記憶の中に残されている。
その花は何故枯れてしまったのか。何故倒れてしまったのか。事実はどうであれ、想像するのは楽しいもの。対象となるのは花以外でも同じ。
そこに咲いている花はどこから来て、どこへ向かうのか。
空を飛んでいる鳥はどこから来て、どこへ飛び立つのか。
吹いている風はどこから来て、どこに去っていくのか。
照らしている月はどこから来て、どこを照らしていくのか。
それは誰にも分からない。けれど、想像し想うことはできる。それを人は楽しみにすることができるのだからーー。
晴れた夜には星には、見上げれば星が見える。遙か遠くから煌めいている星々が。
地球から煌めいている星々は一等星の星々で、さらに遠くにあり見えにくいのが六等星の星々。
いづれ、滅びゆくとしても、その軌跡を誰も知らない。だから、想像するのだ。
その星の誕生と描いた煌めきの軌跡とその終わりを。
今もなお煌めき続けている星々を繋ぎ合わせて、星座にする。意味が有るものにしようとする。
けれど、星々は煌めき続けるために産み出されたもの。それが地球に住む生き物に力を及ぼすことなんてない。
偶々、星が関係していると思われているけど、そんなことはないのだ。
星々はただ夜空をその煌めきによって彩るために存在している。ただそれだけでしかないのだからーー。
私と一緒に躍りませんか? 曲のリズムに合わせて。
あなたが踊るのを好きでも嫌いでも構いません。ただ、私はあなたと踊りたいのです。
音楽の地平線が奏でる演奏に合わせて。短い一曲でも良いのです。
凍てついた花の曲でも。魔術師や雷神の曲でも。東方の星々の曲物語でも。英雄の曲でも。
聞くだけでなく踊るのも楽しみはあるものです。
平和に花を咲かせるのが踊りなのですよ。戦場での踊りは誰からも好まれませんから。
嬉しい時も悲しい時も、踊りは自分の気持ちを表すためにもあるのです。殻に閉じ籠もるだけではつまりませんから。
私があなたに合わせます。なので、気楽に思うままに踊りましょう。
ただ、私はあなたと踊りたい。それだけなのですからーー。