飛べ、飛べ、飛んでいけ。
風に乗ってどこまでも。
突風に煽られても負けずに突っ切っていけ。
君ならできる。僕は信じている。
そのまま遠くの空へ向かって、僕の目から見えなくなるほど遠く遠く飛んでいけ。
そうすれば君も僕も褒められる。あいつらを見返せる。
僕の作り方が正しいんだって周りもわかってくれる。
君だって同じ気持ちだろう? だって僕が心を込めて一つ一つ丁寧に折ったんだから。
だから今年こそ大丈夫。
さあやってやるぞ! 紙飛行機チャンピオンに返り咲いて格の違いを見せつけてやるんだ!
「あったまてっかてーか♪」と某青ダヌキの歌を若干モノマネしながら掃除をしていると姪っ子から「何その変な歌」と言われてしまった。
もうこの歌も通じないんだな……時代の流れって恐ろしいな……とちょっとショックを受けてしまった。
この言葉にできないモヤモヤはたぶん、生きている限り何回か遭遇するのだろう。
年齢を重ねれば重ねるほどその頻度も増すと考えたら少し恐ろしいような、それはそれで楽しみなような、微妙な気持ちになる。
……これが大人の気持ちなのか。
まだまだ若い気分でいたいのだけどなあ……
爛漫とは花が咲き乱れる様子や光輝く様子……という意味だそうだ。
確かに寒い冬から暖かい春になり、桜が咲くのはなんとも嬉しい気持ちになる。
だからこそ春爛漫という言葉が生まれたのだろう。
しかし、よくよく考えてみれば夏爛漫とか秋爛漫とか冬爛漫という言葉はない。
夏に咲き誇るヒマワリやアサガオたちにはその言葉は使われないし、秋に咲くヒガンバナなどにも使われない。
冬だって椿やシクラメンにも使われることはない。
そこで私はこう思った。
春爛漫、それ自体が桜という言葉なのではなかろうかと。
考えてみてほしい。春爛漫と聞いて何を思い浮かぶか。
おそらく大多数の人は桜が咲き誇り、花びらが舞っている風景を思い浮かべるだろう。私だってそうだ。
だから春爛漫=桜は成り立つのだ。
……たぶん。
私はあなたのことを見ていた。
私はあなたのことを愛していた。
誰よりも、ずっと。
あなたにとって私はただの家族なんだろうけど、私にとってあなたは友でもあり、親でもあり、そして一番大好きな人だった。
私はあなたの笑う顔が好きなの。あなたに悲しみの顔は似合わない。
そう……悲しむことはないの。
あなたは人間で私は犬。私の方がすぐおばあちゃんになるのは仕方ないこと。
この犬生であなたに出会えたことが何よりの奇跡で何よりの幸福だった。
だからそんなに泣かないで。必ず会いに行くわ。
怖がりなあなたは幽霊の私に怯えるかもしれないからちゃんと生まれ変わってから会いに行くわね。
だから笑って。
あなたの笑顔をこの目に焼き付けるから。
ずっとずっと大好きよ。
幼い頃から物語を想像するのが好きだった。
好きなゲームやアニメの続きを考えてみたり、私が物語に登場したらどうするのか妄想してみたり。
三つ子の魂百までとはよく言ったもので、現在の私も物語を想像するのが大好きなのだ。
おそらく想像を止める時は訪れないのだろう。
これからも、ずっと。