鳥は翼をはためかせ空を飛んでいる。
でも飛べない翼を持つ鳥もいる。
有名なものだとペンギンとかダチョウとかキーウィとかニワトリとか。
彼らは空を見上げて何を思うのだろうか。
いつか飛びてぇなあ……。とか、空飛ぶの大変そうだなあ……。とかなのだろうか。
それとも何も思ってないのだろうか。
考えれば考えるほどわからない。
……鳥の気持ちはボクにはまだ早かったのかもしれない。
……でも、考えなきゃいけないんだよなあ。
宿題に、飛べない鳥の気持ちを考えてみましょうって出されたからには。
ススキの思い出といえばお月見。
小学生の頃、お月見の日に空き地から何本かススキを手折って家に持って帰ったことがある。
そして自分で花瓶に生けて、月見団子を皿に並べて、隙間に剣先いかフライ(当時の大好物)を入れて、親からカメラを借りて撮った。
ただそれだけの思い出。
走馬灯のよう、という比喩表現がある。
人が命に関わるような危機的状況に陥った時、過去の記憶が次々と現れては消えていく、一種の臨死体験。
……まさかそれを僕が見ることになるなんて。
にわかには信じられなかったが、こうして見てしまったからには信じるしかないだろう。
……もう長くないんだな。
幼い頃に患った病気が少しずつこの身を蝕んでいく恐怖から解放されるという安堵と、彼女を置いて逝ってしまう心残りが涙となって目尻を伝っていく。
こんな僕のことを愛してくれている心優しい彼女。
結婚式の真似事もして、大人になったら本当に式を挙げようねと将来の約束までしたのに。……叶わなくなってしまうな。
唯一心配なのが彼女が僕の後を追ってしまうかもしれないこと。
生きていれば良いことは必ずある。僕よりも良い人が現れるかもしれない。
彼女は幸せになるべき人だから。
……ああ、眠くなってきた……
最期に脳裏に思い浮かんだのは、あの時の幸せそうな彼女の笑顔。
……どうか君は、……生きて。しあわせ……に……
くだらないダジャレを思いついたり、謎かけを考えてみたり、時には妄想たくましく二次創作を膨らませてみたり。
それらを誰にも発表しなかったら意味のないことなのだろうか。
誰にも発表する予定のない言葉と文たち。
誰にも見せないのなら考えたって意味がない?
僕はそう思わない。
自分の中にある楽しいという感情、調べた単語の意味、言葉と向き合った時間はいつか巡り巡って自分を助けてくれる。
誰にも見せなくても自分の中にちゃんと経験として蓄積されている。
だから、意味のないことだと言って書くことをやめないで。否定しないで。
人に見せなくてもいいよ。自己満足でもいいよ。
僕は君の書く文が大好きだから。
姉とわたしはお母さんのお腹の中からずっと一緒だった。
何もかも一緒だった。立つのも歩くのも喋るのも。
でもやっぱり大きくなるにつれて姉という個人、わたしという個人は違うのだなと感じていた。
姉は静かなところが好き。
わたしは賑やかなところが好き。
何かと周りから比べられ、共通点を見出されては勝手に喜ばれ、相違点を見出されては勝手に納得される。
だからこそ姉は必死に勉強して他の国に留学し、後にその国の民となった。もうわたしと比較されないために。
手紙はすぐに来なくなった。姉は何か一つのことに熱中すると他が疎かになるからきっとそうだと思っていた。
でも、そうじゃなかった。
……同じ空を見上げてるって思ってた。幸せに生きているって思ってた。
わたしとあなたは違うけど、それでもお互いかけがえのない姉妹だったよね。
そう信じているのはわたしだけかもしれないけど……でも、あなたのところに行くまではそう思っていてもいいよね。