帰り道の途中、どこかのお家から豚汁の香りがふわりと漂ってきた。
とても美味しそうなその香りはなんとなく哀愁を誘ってくる。
……おばあちゃんがよく作ってくれたなあ。
一緒に暮らしているパワフルで元気な祖母。でもさすがに年には勝てなかった。
足腰も弱ってるし手の震えだってすごい。もう料理するのは不可能だ。
一応、レシピはあるにはあるのだけど、材料を切って鍋に入れてグツグツ煮込んで良い感じに味を整える。というもの。
……豪快というか過去の経験からくる適当な目分量のレシピだよなあ。というかこれはレシピなのか……?
作り方を訊いた時に、これは作れないと直感したから祖母の豚汁はたぶんもう、食べられない。
美味しかったなあ。よくどんぶりに入れて食べたっけなあ。どんなに嫌なことがあってもこれ食べたら吹き飛んだんだっけ……。
……そんな懐かしい思い出が止まらなくなって思わずコンビニに駆け込む。買うのはもちろん豚汁。
おばあちゃんの豚汁には全然敵わない。だけど豚汁欲を満たすにはちょうどいい。……本当はあの味が良いんだけど。
……今度、あのレシピと向き合ってチャレンジしてみようかな。
それで出来たものがあの豚汁じゃなくても、僕の心は満たされるはずだ。
鏡の中のあたしはいつもステキだけど、今日はもっとステキでかわいい!
お気に入りのワンピと素敵な髪飾り。お母さんから借りたちょっと大人っぽいネックレスも着けちゃえば、お友達みーんなあたしに釘付けよ!
お母さんは言うの。鏡の中のあなたはいつだって自信満々ね、って。
そりゃそうよ! あたしがそうだもの!
鏡の中のあたしがしょぼくれてる姿なんて見たくもないわ!
しょぼくれてる姿を見せるのはお父さんとお母さんとお姉ちゃんだけで充分よ!
……うーん、もう少しかわいく出来そうだけどこれ以上いじくったらせっかくの髪型が崩れちゃいそう。
そうなったら直すのに時間がかかりそうだし……それに主役が遅れちゃ格好がつかないわ。
なんたって今日はあたしの誕生日!
幼稚園のお友達が家に遊びに来てくれるし、ケーキもあるし、お菓子もジュースもいっぱいあるの!
でもまずはお出迎えの練習ね。
ええっと確か、裾を摘んで、ペコっとして、ようこそいらっしゃいました……だったかしら?
首を傾げていると鏡の中のあたしは自信満々に頷いてウインクした。良かった、これでいいのね。
あっ、チャイムが鳴ったわ! お出迎えしなきゃ!
良い眠りにつく前にお気に入りの香水を枕にかけて、いい香りで肺を満たすの。
夢にその香りが出てくるように。
嫌なことがあった日はいつもこうしているの。
一日の終わりなんだからうじうじ悩んでもしょうがないし、明日にまで引きずりたくないもの。
ほら今日はふわふわのうさちゃんとも一緒に寝ちゃうもんね。
肌触りのいいパジャマに、温かく包みこんでくれる掛け布団。ここには私の好きが満ちている!
るんるん気分でベッドに入ってふと気づく。まだランプを消してないわ。
友達や知り合いは私がランプを愛用していると聞くとなんかちょっとバカにしたように笑うけど、いいじゃない、ランプ。
LEDなんかよりも、蛍光灯なんかよりも、火のあたたかみが好きなんだから。
それにあのランプ屋さんも言ってたけど、ベッドに入ったらどっちみち明かりは消すじゃない。
だからフッと息を吹きかけて火を消すの。この時の香りもたまらないわね。
それじゃ、おやすみなさい。
良い夢が見られますように。
穏やかな時間が永遠に続くと思っていた。
俺は一生をあの村で終えると思っていた。
それなのになんでだろうね。急にあなたは選ばれし者だとか王様が呼んでますよとか言われてさ。
ほとんど無理やり故郷を旅立って、勇者だとか英雄だとかとちやほやされて、望んでないのに魔王の討伐まで願われてさ。
逃げたかった。いやだって言いたかった。だけど故郷を人質に取られてるも当然だから、拒否権なんてものはハナからなくてさ。
集められた仲間と共にやっとこさっとこ魔王を倒して凱旋したらこれまでよりももっとちやほやされてさ。
ようやく俺に興味がなくなって、久々に自由を手に入れて、故郷に帰ってきたんだ。
そうしたら故郷は全く別物になっててさ。
神みたいに俺を崇め奉ってる友達と俺に縋り付いてくる親……。
俺の欲しかったもの、大切なものはもう手に入ることはないんだなって絶望した。
……だからさ、今度はあいつらの欲しいものや大切なものを永遠に俺が壊してやるって決めたんだ。
そうこうしてたら魔王とか言われてさ。
笑っちゃうよな。あいつらこそ魔王に相応しいのに。
なあ勇者。お前もそう思うだろ?
……魔王の戯言だって? まあそう言うなよ。
死に際に嘘なんか吐くわけないさ。
彼がそこにいる。
私の大好きな彼が元気に笑っている。
もう病気に恐れることはない。
ここでずっと私たちは幸せでいられる。
老いることも死ぬこともない。永遠を彼と共にいられる。
未来なんか見なくていい。彼がいなければ未来なんてないも当然だから。
私は彼だけがいればいい。それ以外はいらない。彼がいなければ生きる意味なんてない。
だけど彼は私に生きてほしい、後を追うことは許さないと遺言を残した。
よほど心配なのか夢枕にも立ってきた。
友達も親も部屋の外でしきりに私を呼んで……
……ああ、余計なことは思い出さなくていい。考えなくていい。ここには私と彼だけ。
二十歳になれなかった彼。学校では人気者だった彼。
小さい時に結婚の約束をして、中学を卒業する時におもちゃの指輪で結婚式の真似事もしたね。
そう、思い出の中だと彼は元気に生きている。
私はここで生きていく。
私の幸せ全てがここにある。
ここが私の理想郷だから。