今、
目の前にある標識には
こう書いてある
「あなたの行きたい街は
どちらですか?
目を瞑って
深呼吸をしたら
自分の心に静かに
尋ねてみてください
決まりましたか?
そしたら目を開けて
目の前の道を
進んでみてください
ええ、そうです
その道は
あなたオリジナルの道です
心の奥底であなたが望んでいる街へ
連れて行ってくれるでしょう
では、
いってらっしゃい」
ふーん、
そうなんだ
では、やってみようかな
優しさにも
いろいろあるけれど
ただ見守ることも
優しさ
相手への信頼が
あればこそ
ただ見守る
これってけっこう高度なこと
つい
声をかけたり
手を差し伸べたり
先回りして危険回避したり
やりがち
見守るという優しさの中で
さまざまな可能性を秘めた
小さな芽が
のびのびと
育っていくのだろうなぁ
皆が寝静まった頃
自分の心が
私に
語りかける
「それでよかったの?」
ううん、
違う
このままでは
何も変わらない
以前の私だ
変化を恐れるな
周りの反応を気にするな
ありのままに生きることに
躊躇するな
今はまだ見えない
その着地点に
恐れることなく
一歩を踏み出そう
安心と不安
まるで対のように
とらえがち
不安だから安心を願ったり
今は安心だけど
この安心が不安になることが
やってこないように
いつまでも続きますようにと
願ったり
これ、
セットにする必要は
ないんじゃないかな
不安に意識を向けると
やってきた安心も
不安ベースの
安心になってしまう
つまり、
安心🟰不安なことがなくてよかった
これって不安に意識がいっているので
心の奥底には不安が残っている状態
今この瞬間、
安心に意識を向ける
次の瞬間も
その次の瞬間も
疑うことなく
安心に
意識を向ける
それを続けていると
安心以外の要素が
心に入ってくる隙間がないから
結果、
心は安心な状態になる
すると
目の前の現実とは
自分の心を映すだしている
鏡のようなものだから
自然と
安心な現実に囲まれる
どちらが良いか悪いかと
言っているのではなく
安心も不安も自分次第
暗いトンネルを
光に導かれて
進んできた
あともう少し
そして
光り輝く世界への
入り口を背に
私を迎えてくれる
貴方
貴方はここで
ずっと待ってくれて
いたのですね
私が戻ってくると
わかっていたのですね
待っていてくれて
ありがとう