初めて貴方を一目見た時、私の人生は大きく変わったことを今でも覚えています。
言葉すら交わすことなく、すれ違い程度であった私の目は貴方の姿で灼きついたのを
私が当時思い描いていた夢は、貴方という存在を知ってから、まるでペンキのように丸ごと塗り替えられる
今日もやらかした。
また愛するあなたを傷つけてしまった。
己の生涯をかけて愛すると誓った妻との間に生まれた、この世でたった愛おしい一人息子。
妻と息子、愛する家族を守る為に自分なりに努力していたはずだったのに、突然降り掛かった、予想もしない悲劇を境に私の家族はバラバラになってしまった。
妻は夢の世界に連れて行かれたかのように眠り続け、強い人だったはずの母は戦いに敗れて命を落とした。
唯一守らなければならない存在だった幼い息子は、その小さな身体に世界を揺るがす程の恐ろしい力が秘めていることが判明した。
息子と同じ年齢だった頃、剣すらまともに振れなかった自分とは天と地の差で、初めて握った剣であるにもかかわらず、一瞬で、気がつけば、刃の先は私の喉仏に向けられていた。
以降、息子が化け物にしか見えなくなった。
剣神に愛されている息子は決して悪くない。
才能も力も何も持たなかった平凡で非力な自分が悪い。
ただ、剣聖の使命と重過ぎる責任の歯車に組み込まれてしまった我が子をそれらの重みから引き剥がしたいだけなのに、現実は一向に進展しない。
寧ろ親子関係は悪化の一途を辿っていき、妻との宝物だった我が子は闇の沼に嵌っていく私とは真逆の、ただ光の道のみを突き進む、王国最強の英雄となった。
そして今日もあなたを見る度に憎しみと妬みの言葉をぶつけてしまう。
本当は言いたくないのに、口を開けば汚い言葉が勝手に飛び出してくる。
英雄の皮を被ったあなたは微塵も揺らぐことなく、私と同じ色の瞳で、ただ無機質にわたしを見つめる。
違う。そんな目をされる未来などあなたが生まれた時から望んではいなかった。
遠い過去に突き放した息子の背中が手をいくら伸ばしても触れられない程に遠ざかっていく。
待ってくれ……!
そんなことを言いたかった訳じゃない……!
本当は……あなたのことを……
愛してる、のだと。
嗚呼、今日も伝えられなかった……
スマイル
「ラインハルト」
スバルに肩をトントンと叩かれる。
「うん?なんだい、スバ……」
「へへっ、隙あり」
「!」
呼ばれて振り返れば、すかさずむにっとした感触を頬で受け止める。固めだが、弾力性も兼ねた感触の正体はスバルの指先である。スバルは僕の頬に指先を押し込んだまま、更にグイグイと突いてくる。
これが敵ならばとっくに躱しているが、相手がスバルであるなら別だ。スバルになら例え何をされても許せるくらい、僕の心は彼に信頼を置いていた。
「やあ、スバル」
「くっそー、頬を突かれててもイケメンはイケメンだな……!」
顔は悔しそうにしていても、何故か言葉では僕の顔立ちを褒めてくれる。つくづく彼は不思議な人だといつも思う。
「えっと……どうしたのかな?」
「……」
行動の理由が知りたくて訊ねてみるも、スバルは口を閉じたままでなかなか答えようとしてくれない。
「スバル?……わっ」
返事の代わりに、スバルは両手で僕の顔を挟んだ。それから頬をマッサージするように揉んだり、時々軽く抓る。
「す、スバル……?」
「おー、案外柔らかいのな、お前の頬っぺた」
「ふ、ふふっ、さすがに擽ったいよ……ははっ」
むにむにと、肌を解すように揉まれ続けると、さすがに笑いが抑えきれず、溢すように口から笑い声が漏れてしまった。僕が笑い出せば、スバルは頬を揉むのを止めて僕の顔から手を離した。
「お、やっと笑ったな!」
「だって、君の手が擽ったかったからだよ……」
スバルによって引き起こされた笑いはなかなか止まってくれなかった。止まるどころか、一つも悲しいことなんてないのに何故か涙まで出てきそうになる。
「ラインハルトにも笑い過ぎることってあるんだな……」
スバルが意外そうな顔をしながら僕のことを見つめてくる。そもそも、こうなってしまったきっかけは君が原因なのに、肝心の張本人はあっけらかんとしているので更に笑いが膨らみそうになった。
「僕も知らなかったな……自分がこんなに笑うことが出来るなんて」
誰かに合わせるような、演技のように作った笑顔ではない。無意識な、ごく自然な笑顔。
意識しなくていい、抑えなくていい感情を素直に表せるのがこんなに気持ちの良いことだなんて、何だか随分と久しぶりに思い出せた気がする。
「スバル」
「ん?」
「僕はこれからも笑いたい時には笑って良いのかな……?」
「は? 当たり前だろ……」
僕の確認ともいえる問いかけに、スバルが怪訝な顔をする。
当然だ。自分でもおかしな事を聞いている自覚はある。『剣聖』は『剣聖』らしく、全ての行動に細心の注意を払わなければならない。でも、『剣聖』以前に"化け物"でもある自分は常に制御を求められる。力も、発言も、感情も、ありとあらゆる全てのものを……。
「そんなの誰かに確認することじゃねえよ。ラインハルトが心から楽しくて笑ってたら俺も嬉しいし、これからもどんどん笑ってくれ。あ、無理して笑えって意味じゃないからな!」
自らの発言を慌てて訂正するスバルだが、僕の心はその一つ前の言葉に囚われてしまっていた。
僕が笑っていたら嬉しい……。
初めて言われた言葉だ。今まで思うままに感情を表すと嫌な顔をされたり、恐れられたりと、不快な思いを与えてしまうことの方が多かったから……。
だから感情をありのままに出すのを抑えるようにした。初めて会う誰かと接する時は、相手に恐怖心を与えないように人当たりの良い笑顔を作って……。
僕が自分自身に巻いた、感情を制御する為の鎖はたった今、スバルの言葉で溶かされた。
「僕は君に救われてばかりだ……。スバル、心からありがとう」
意識的にじゃない、僕の心から無意識に飛び出した感謝の笑顔をスバルに向けた。
「あ……」
スバルの瞳が瞬いたのは一瞬のことで、次の瞬間にはいつも僕に向けてくれる暖かみのある笑顔になっている。
「やっぱ、お前は笑ってる方が似合うよ」