私がいい子なのか、悪い子なのか。
どちらが正義で悪なのか。
神様じゃないとわからないことだね。
現実は真っ逆さまの世界で、結果は真逆が正解。
その結果は死んでから、答え合わせするの?
死んでその先に神様は本当にいるの?
いないよ。
いるよ。
鏡合わせの世界で笑わないもう一人の自分が言う。
その答えを知りたいだけなのに、自分のくせに意地悪なんだな。
私がいると言えば、いないと言う。
私がいないと言えば、いると言う。
答えは出ない。
最後清算されるべきときに
私の人生の評価が決まる。
それは神のみぞ知る、私の一生知れない秘密なのだ。
会社行きたくない。
学校行きたくない。
本心とは真逆に行動して、その場所へ向かう。
いつもの通り道の先がもっと先が長ければいいのに。
こんなに嫌だと思うくらいなら、違う場所へ繋がる道なら良かったのに。
ジメジメした梅雨が始まったばかりと思いきや
ジーーーーっと蝉が鳴き始めた。
夏の到来を告げる、気温だけが先走り。
暑さだけが先にやってきたような。
日本の四季は随分と駆け足気味になってしまったようだ。
四季があるこの国で、夏は一番過酷な季節となった。
だが一番楽しい季節でもある。
祭りに花火、海。山。暑さの中で食べる氷菓。キラキラした夏野菜。イベントもたくさんある。
まぁ社会人となれば毎日遊びとはいかないのだが、幾つになっても夏は楽しいものである。
強い日差しの下を歩くにはそれなりの準備をしなければならないが、それもありきで楽しみだ。
昨年は初めて徳島県へ行ってきた。
太平洋側の関東民からすると瀬戸内海の穏やかなこと、少しグリーンの混じったような海の色はとても鮮明に覚えている。行って良かった、また行きたくなった。
今年の夏は何処へ行こうかと今から計画を練るのが楽しみだ。
人生の多くは苦難にみまわれるもの。
それは仕方ないことだとしても、それにしても辛すぎるなこの人生と思ってしまう。
ただ普通の生活をするだけで、人間は多くて1日辺り三万回の取捨選択をしているのだという。
悩んでいる暇も時間も無いくらいの多さだ。
過去の自分の選択があるから今の自分がここにいる。
それはよくわかっている、自分でも。
だが、どの選択をしても満たされず、後悔や不安が押し寄せてくるのだ。
人生の岐路という分かれ道はまだ一回か二回そんなところだろう。
進学先や転職そんなところだ。
私の場合、悩みの多くは人間関係だ。
プライドだけが高い怠惰な人や、実力があるわけでもないのに高慢な人。その人達と話す時が一番神経使っている気がする。
だってこじらせると面倒だし、機嫌良くなれば仕事もスムーズにいく。
調整役を買ってでたわけもなく、なんとなくそんな流れでそうしているものの。
当人達はそんな気苦労があるとも知らず、随分と好き勝手言って下さる。こちらは言葉選びの選択に頭をフル回転させて、仕事までしなきゃいけない。
毎日が綱渡りの分かれ道状態。
そんなのが毎日毎月毎年続いたら、人生の岐路がそのうちやってくると思っている。
調整役。縁の下の力持ち。秘書。言いように言ってくれるが誰もその痛みも苦悩もわからない。
報われないことが何よりもとどめを刺す。
くだらない忖度なんかしてるからと思う。
だけど調整役いなかったら、無法地帯。
どちらにせよストレスの温床だ。
砂時計が落ちたら、世界はひっくり返るように。
もうそこまで岐路は近づいてきている。
誰にもいえない秘密は持っている。
たぶん誰にでもある。
良い意味でも悪い意味でも。
言って後悔することが、わかりきっていることを
敢えて言うことはしない。
そんな話を打ち明けてくれる人がいたら、それだけ私を信頼してくれているという事だろう。
またはその逆か。
それが嘘か真かをちゃんと見極めなければならない。本当に信頼における人物かを。
しっかりと自分自身の責任として見極められなければ
いけない。
手のひらを返すことは、簡単だ。
悪い奴はいつもそのチャンスを狙っている。
一部の人間はくだらないゴシップが大好物だ。
根も葉も無ければ、今度は羽を生やすくらいに
そしてその副産物である人の不幸が大好物だ。
ネタにされて玩具にされるくらいなら閉まっておけばいい。本当に最期まで。
しまって置くのは、時々苦しくなるけれど
狩られる前に、隙を見せずに隠しておこうと思う。