誰もいない教室
忘れ物をとりに来ると、音楽室からピアノの音色が聞こえてきた。
扉は開いていて、夕陽のオレンジが廊下にこぼれている。
吸い込まれるように中を覗くと、いつもピアノ伴奏者に選ばれている隣のクラスのあの子だった。
「だ、誰?びっくりしたあ...!幽霊かと思った...」
先生が鍵をかけ忘れたらしく、勝手に入って弾いていたらしい。
「先生には内緒ね」
君と僕以外誰もいない教室で、2人だけの秘密を共有する。
ピアノは弾きたいけど、怖くて扉は閉められなかったんだとはにかむ彼女の横顔が、今日になっても忘れられない。
信号
みんな笑ってるのに、確かにあの子だけ
一瞬曇った顔をしたんだ。
タイミングを見計らって声をかける。
「あのさ、なんかあった?」
そう言った途端、顔をくしゃくしゃにして泣き出したあの子。
ああ、よかった気がつけて。
大丈夫、もう大丈夫だよ。
言い出せなかった「」
言い出せなかったの。
あなたの目が、あまりにも真っ直ぐ私を見ていたから。
眠ったように穏やかな顔のあなたの隣で、
涙を必死でこらえながら、笑いを必死でこらえた愛しい時間を思い出す。
secret love
「おまえ、なんか今日いいにおいすんな」
「えっ!そ、そお?わっ私ももう高校生だからさっ!これはミモザの香り...だよ」
「みもざ?へー。なんかわかんないけど、おまえに合ってるよ」
ヤツは知らない、ミモザの花言葉が
「秘密の恋」だと言うことを。
ページをめくる
このページをめくれば、君にもう会えない。
でもそうしなければ、僕は元の世界に帰ることが出来ない。
「君のことわすれない」
「私も、わすれない」
幼い僕らは最後の言葉を交わし、僕は現実世界に帰ってきた。
あの不思議な体験から15年が経ち、あれはやっぱり夢だったんだろうかと思うようになった僕は、すっかり現実を生きる大人になってしまったということなんだろうか。
焼けるような暑さから逃げ込むように図書館へ入り、窓側のいつもの場所へ向かう。
すると、今日はその場所に先客がいた。
絹糸のような長い黒髪の、眼鏡をかけた姿勢のいい女性だった。
支える白い指が折れてしまいそうなほど分厚い本を、真剣な顔つきで読んでいる。
その人はまるで...いや、さっきまで15年前のあの出来事を思い出していたからだろう。
けれど僕にははっきりと、あの子の姿と重なって見えていた。
彼女の向かいにそっと座る。
僕は新しい記憶のページをめくった。