【恋か、愛か、それとも】
最近、ふと恐ろしいことを考える
触らせたくない、話させたくない、あの困ったように笑う顔を誰にも、見られたくない
俺にだけ、俺にだけ触れて、話して、笑いかけて欲しい
でもそれは、ただの後輩が望んでいいことなんかじゃ、絶対になくて
「…難しいな」
「珍しい、柊にも難しい事とかあるんだ?」
「ッ!り、律さん、急に後ろに来ないでください……!」
「ははっ、まだまだって事だよ、ちゃんと気づけるようになりな」
「……はい」
少し低い位置、その優しい顔を見つめる自分は、一体どんな目をしているのだろうか
「なんかでつまづいてる?聞こうか?」
「あー…いえ、そういうことでは…」
「ふぅん?」
少し甘い缶コーヒーを、円を書くように振って弄ぶ律さんに、あまり表情を気取られないよう、下を向いた
「…その……律さんは、恋とか愛とか、そういうのに近いけど、あんな綺麗じゃないなって思う感情に、なんて名前を付けます…?」
「綺麗じゃない?」
「なんかもっとこう、どろどろした、汚いなって、自分で思っちゃうような……」
「うーん……依存とか…?嗚呼、あとは」
恋か、愛か、それとも
「執着、とかかな」
【約束だよ】
「柊」
「はい」
緩く名前を呼べば、ベッドの縁から聞こえるには似つかわしくない固い返事が帰ってくる
「今日のこと、誰にも言っちゃダメだよ」
「え、はい言いませんけど…」
「うん、バレたら俺溶けて消えちゃうから」
「溶けっ、え?」
冗談に素直に慌てる柊に少し笑って、素肌に触れるシーツの感覚に身を丸めた
「2人だけの秘密、ね?」
「…はい」
表情が緩い、そんなに嬉しかったのか
ここまでするのは初めてだったが…まあ、柊相手なら悪くない手段だ
体を持ち上げれば、薄い布団がぱさりと落ちて少し肌寒い
「ん」
「…なんですか?」
「指切りげんまん、知らない?」
「知ってますけど…」
「じゃあはい」
無理やり柊の小指に自身の指を絡ませ持ち上げる
「約束、ね」
「約束…」
「約束だよ、2人の約束」
言いふらすような事でもないが、柊みたいな奴にはこういう言い方は効きやすい
約束、それは可愛らしい名前の呪縛
「ゆーびきりげんまん…」
子供の頃から幾度となく繰り返したその歌は、神経毒のように人々に染み込んでいく
「…律さんってたまに凄く可愛いですよね」
「……そうかな?」
いいこ、いい子だ、柊
そのまま、そのままでいて
【渡り鳥】
渡り鳥のようだと思う
たった半年とちょっと、姿を消したと思ったら、次の秋にはもう、どこかで作った居場所を置いて戻ってきた
罪な男だ
またこいつのために泣いた奴がいたんだろう
自分があの日見たように
「何、熱烈じゃん」
「…お前悪い男だってよく言われない?」
「え、何急に、言われないけど」
鷲のような男
高く飛び、鋭く睨み、そして振り返ることなく突き進む
仕事仲間とはいえ、ここでこの男に話しかける人間も、もう自分を数えても片手で足りるほどしか居なくなってしまった
腫れ物の自覚をしておきながら、平気な顔で悪を討つ
たった1ヶ月も前には、お前もそちら側だったのに
「ま、誰も人相が悪い男に面と向かって悪い男なんて言わないか!」
「はぁ〜?言ったわこいつ」
飛べない鳥は、空を見上げる
籠の中にでも居さえすれば
檻のせいとも言えただろうに
【これで最後】
「律さん…」
「駄目、職場だよ」
腰に手を回してくる柊の顔の前にすっと手を差し出す
静かな声、優しく触れる手
キスの合図だ
「…誰も居ないのにですか?」
「いなくても」
別に恋人だとか、そんな関係じゃないし、なんなら友人でもない
それでもこの男は、1度許されたからと、度々こういう声を出す
「ここをどこだと思ってんの?監視カメラくらいいくらでもあるんだよ」
「…はい」
少し拗ねたように距離をとる柊に、ため息をついて、腕を引く
「…こっち」
「え」
「……監視カメラが…」
「お前と違って知ってんの、死角」
「……もう1回、ダメですか…?」
「…これで最後ね」
絆されてなんか居ない
これで
最後だ
【君の名前を呼んだ日】
「東雲って結構人の事下の名前で呼ぶのに、柊くんのことは柊呼びだよね」
給湯室、インスタントのコーヒーを2杯淹れ、壁に体重を預ける同僚とつかの間の休憩を謳歌する
「あーたしかに?」
柊、自分が体験を受け持った後輩で、よく懐いてくれている彼を名前で呼んだ事は、言われてみれば1度もなかったかもしれない
「柊くんってフルネームなんだっけ」
「颯真だね、柊颯真」
「うわー…イケメンの名前だ」
そう語ちる男に苦笑いを返したあと、まあ確かに、と思い直す
「いいよねかっこよくて」
「律もなかなかだけどね、東雲律」
「中性的だから昔は苦手だったけどね」
「今度いきなり呼んでみたら?颯真って」
「怒られると思わせちゃうよ」
「褒めてあげればいいじゃん」
「……ん〜まあ、気が向いたらね」
そんな会話が、もう二時間前の事
「律さん!さっきの書類提出しようと思ってたんですけど、律さんに渡せばいいですか?」
「あー、うん、僕が預かっておくよ」
自分より若干上にある紫色の目に臆することなく視線を合わせる
「?律さん?」
「……いつも偉いね、颯真」
流石に頭を撫でるのはやりすぎか?と、肩を2回叩くことに留め、労いの言葉をかける
急な事に驚いたのか、動く気配のない柊の前に手をかざせば、はく、と音を伴わない声が漏れて、バッと距離が取られ顔が見えなくなった
「ひ、柊?」
「や、ッちょっと、驚いただけなんで」
手で顔を覆う柊に半歩近づき微笑みかける
「そんなに?もっと普段から褒めるべきだったね」
「……そっちじゃ、なくて」
「え?」
「…なんでもないです」
じゃあ、と逃げるように足早に去っていく彼の、短い髪の間から見える耳が、どうにも赤くなっているように見えたのはきっと気のせいなんだろう