『嬉しいプレゼント』
「サンタのおじさんに新しいゲームお願いしたよ」
「彼氏にアクセサリー頼んでるの」
「妻と子供にはささやかだけどケーキを買って帰ろう」
雑踏からひそひそと楽しそうで嬉しそうな囁き声が聞こえる。
私は今駅前の広場の大きなツリーの下のベンチに座っている。ツリーの電飾がピカピカとやけに眩しく感じる。
世のクリスマスを待ちわびる人達が私の横を通り過ぎていく。彼らの華やかな喜びとは裏腹に今の私、すごく惨めだ。
今朝会社で同僚でもある彼氏に振られ、仕事では上司に叱られ、こうして冬空の下でぼうっとイルミネーションを眺めている。寒々しい夜空だけれど、冬の空気は澄んでいる。
雪はこの場所にきてからすぐに降りはじめた。ひらりひらり、煌めいては消えるを繰り返す。
(そうか、明日はクリスマスイブだっけ)
どうしてこんな時に振ってくれたんだと今はいない元彼に文句を言う。彼との思い出はたくさんあったはずだけど、振られてすぐに頭の片隅に追いやったせいか、今はぼんやりとしか思い出せない。
(私がこの中で一番惨めな人なのかも)
浮かれた空気とは対照的にそんな暗い考えが湧いてくる。
全くもって自分の世界に入ってる。だめだめ、と首を振り頬を叩く。
ふと向かいの商店街を見る。カラオケ屋さんの前でサンタの格好をした若いお兄さんがビラを配っている。
いくらなんでもクリスマスには早すぎないかと思うけど、似合っているから許す。
ふと、急に突風。
慌てて顔を腕で覆うと、なにか張り付くような感覚がした。不快感で反射的にそれを引き剥がす。
「すみませーん!ビラが風で飛んじゃって。大丈夫ですか?」
ビラ配りのお兄さんが駆け寄ってくる。
ハチミツみたいな金髪に、今時の細面の甘いマスク。私の座っているベンチまで来てくれて、中腰になって私と視線を合わせ謝ってくれた。
「大丈夫です。気になさらないで」
少しドキッとしたことを隠すようにしたら、慌てた口調になってしまった。
「いやぁ、寒いですねぇ。さっきから雪も降ってるし。おねえさんさっきからずっとそこに座ってたから気になってたんですよ。なんかありました?」
気さくに話しかけてくる。そもそも、お兄さんは仕事はいいんだろうか?
そんな疑問を察したのか、お兄さんはにこっと笑った。
「雪降ったら終わっていいって店長が言ってたから大丈夫ですよ。それより、イブイブですよ、明るくいきましょ」
軽口を叩いているけど、気遣ってくれるのがわかる。
「お兄さんはイブイブも仕事なんですか?」
「そっすよ!なんならイブもクリスマスも仕事」
煌めく瞳がまぶしい。
それにしてもクリスマスまで夜に仕事。すごいなぁ。仕事に対する前向きさが伝わってくる。大切な人とは過ごしたりしないんだろうか。
「大切な人にプレゼントとかは?」
思わず聞いてしまったがなんて不躾な質問をしたのか後悔したが、お兄さんは気にしてなさそうだ。
「おねえさんは?大切な人にプレゼントは?」
逆に質問されてたじろぐ。
「大切な人、もう居ないから。
あ、でも気持ち切り替えなきゃね!」
しんみりした空気になっちゃったなと思っていたら、
「じゃあ俺からプレゼント!」
そう言って大量に持っているチラシから一枚抜き取ってその裏に『フリードリンクプレゼント無期限』とマジックで書いてみせた。
「ま、この店使ってくれないとプレゼントできないけど、これが今の俺の権限でできる最大のプレゼント。
おねえさん、何があったか知らないけど、俺応援するよ。あと、カラオケはいいよ!音楽は世界を平和にするから」
にいっと笑った時に見える八重歯がなんだか幼く見えて思わず笑みが溢れる。頑なだった私の心がやっと溶けて他人の温かさが身に沁みた。
「ありがとう、気を遣ってくれて。クリスマスプレゼント、いただきました。またお店を使わせてもらうね。お兄さんもお仕事頑張って!応援してるよ」
その時お兄さんの携帯が鳴った。
どうやら時間のようだ。
私も帰宅する時間はとっくに過ぎてる。
「おねえさん、またね」
そう言いお兄さん駆け足で遠ざかっていく。お兄さんの背が小さくなるまで私は大きく手を振り続けた。
音楽は世界を平和にする、かぁ。
お兄さんの言葉をリフレインして、
私は「プレゼント」を胸ポケットに大切にしまった。
#プレゼント
この時期になると思い出す。
柑橘のフレッシュな香りの甘くてほっとする飲み物、ゆず茶を私のおばあちゃんが作ってくれたこと。それは私の心の奥の大切な記憶。優しくてあたたかいおばちゃんの思い出。
その頃私は大学受験に向けて塾に学校、試験に模試に忙しく、心のゆとりを忘れていた。
自然とキツくなる言葉と焦る気持ちで私は周りが見えなくなっていた。
そんな時、友達とくだらないことで喧嘩をしてしまった。くだらないと言っても真剣に友達関係をやめてしまおうかと悩んでいた。
友達は推薦が決まったので余裕を見せていたということもある。友達の進路が決まってから、LINEが多く入るようになった。いちいちは返さなかったが通知は切らずにそのままにしていたのがいけなかった。
ある日、早朝に勉強しようと早く寝たら、夜中に友達からLINE。色々モヤモヤしていた私はその場の怒りに任せて友達をブロックしてしまったのだ。
当然友達はそれに気づくわけで、学校で友達と喧嘩になってしまった。
受験期の喧嘩は私の心に大きく響いて、それ以来勉強が身に入らずそれを補うように夜遅くまで勉強に励んだ。
「ひなちゃん、もう寝なさいな」
同居しているおばあちゃんはいつも10時には寝るくせに、私が徹夜を繰り返す頃…12時過ぎに声をかけてくれるようになった。
正直うるさいとおもったけど、おばあちゃんの小さな肩を見るたびにその言葉は引っ込んだ。
当時のおばあちゃんの年齢は80歳。遅めに生まれた孫の私をよく可愛がってくれた。
徹夜を繰り返して心も脆くなって記憶力も悪くなった私は毎日ギリギリを生きていた。
なんのためにやってるのかなぁ、なんて思いだしたら崩れるのは早かった。
「ひなちゃん、もう寝たら?」
ある日、おばあちゃんのいつもの一言でどうしてか涙が溢れ出て止まらなくなってしまった。
ぼろぼろ涙を流して無言で泣く私を見て、おばあちゃんは「頑張ってるもんねぇ。泣いていいんだよ」と涙を拭ってくれた。
おばあちゃんは私を椅子に座るように促すと、キッチンの奥に行ってなにやらごそごそ準備をしだした。
嗚咽がまだ止まらなくて、落ち着こうと試みている私におばあちゃんがマグカップを差し出す。
いつも使っている花柄のマグカップ。ふわりと漂うゆずの香りにああ、これはゆず茶なのだと気付かされる。
「かき混ぜてゆっくり飲んでごらん」
言われた通りに一口飲むと、不思議と暖かさが身体中を満たすように感じた。
「甘いもの飲むとほっとするでしょう」
おばあちゃんがにこりと笑った。その時、私の何かが弾けた。
「おばあちゃん、私もう嫌だ。もう受験、できない」
「なんのためにやってるの?もうわからない」
そんなようなことを涙と鼻水のぐちゃぐちゃな顔でつっかえながら訴えた。
おばあちゃんは、私の肩をさするとゆっくり口を開いた。
「ひなちゃんは昔からシロの病気を治すために獣医さんになるんだってずっと言ってたね。今でもシロのこと思い出すから獣医さんになろうと一生懸命に勉強してるんでしょう?ひなちゃんは努力家だもんね。きっとなれるよ」
おばあちゃんの小さな手が、私の頭を撫でた。
勉強で視野が狭くなってシロのこと、すっかり遠くなっていた。そうだ、小学生の頃、どうしたら獣医さんになれるかって図書館で調べたり色んな人に聞いたっけ。あの頃から苦手な算数を頑張って勉強してきたっけ。
「そうだね。あの頃から私、頑張ってきたんだもんね」
おばあちゃんに言うでもなく呟くと私は残りのゆず茶を飲み干した。一気に飲むゆず茶はとても甘く感じた。
あれから年月が経った。私は無事獣医になれたし、シロと同じような病気の犬や猫を懸命に治療している。
おばあちゃんはーあれから2年後に癌の再発で他界した。今思えば、色々してくれたおばあちゃんに何もしてあげられなかったように思う時がある。
そんな時、自分で作ったゆず茶を飲んで一呼吸置くことにしている。
ーおばあちゃん、ありがとう。私、おばあちゃんのおかげで夢が叶えられたよ。
だから、その思いに応えるように頑張るねー
寒い日のゆず茶は美味しさも一入だ。
薄い琥珀色と、ゆずの香り。これが私のお気に入りのひととき。
#ゆずの香り