この時期になると思い出す。
柑橘のフレッシュな香りの甘くてほっとする飲み物、ゆず茶を私のおばあちゃんが作ってくれたこと。それは私の心の奥の大切な記憶。優しくてあたたかいおばちゃんの思い出。
その頃私は大学受験に向けて塾に学校、試験に模試に忙しく、心のゆとりを忘れていた。
自然とキツくなる言葉と焦る気持ちで私は周りが見えなくなっていた。
そんな時、友達とくだらないことで喧嘩をしてしまった。くだらないと言っても真剣に友達関係をやめてしまおうかと悩んでいた。
友達は推薦が決まったので余裕を見せていたということもある。友達の進路が決まってから、LINEが多く入るようになった。いちいちは返さなかったが通知は切らずにそのままにしていたのがいけなかった。
ある日、早朝に勉強しようと早く寝たら、夜中に友達からLINE。色々モヤモヤしていた私はその場の怒りに任せて友達をブロックしてしまったのだ。
当然友達はそれに気づくわけで、学校で友達と喧嘩になってしまった。
受験期の喧嘩は私の心に大きく響いて、それ以来勉強が身に入らずそれを補うように夜遅くまで勉強に励んだ。
「ひなちゃん、もう寝なさいな」
同居しているおばあちゃんはいつも10時には寝るくせに、私が徹夜を繰り返す頃…12時過ぎに声をかけてくれるようになった。
正直うるさいとおもったけど、おばあちゃんの小さな肩を見るたびにその言葉は引っ込んだ。
当時のおばあちゃんの年齢は80歳。遅めに生まれた孫の私をよく可愛がってくれた。
徹夜を繰り返して心も脆くなって記憶力も悪くなった私は毎日ギリギリを生きていた。
なんのためにやってるのかなぁ、なんて思いだしたら崩れるのは早かった。
「ひなちゃん、もう寝たら?」
ある日、おばあちゃんのいつもの一言でどうしてか涙が溢れ出て止まらなくなってしまった。
ぼろぼろ涙を流して無言で泣く私を見て、おばあちゃんは「頑張ってるもんねぇ。泣いていいんだよ」と涙を拭ってくれた。
おばあちゃんは私を椅子に座るように促すと、キッチンの奥に行ってなにやらごそごそ準備をしだした。
嗚咽がまだ止まらなくて、落ち着こうと試みている私におばあちゃんがマグカップを差し出す。
いつも使っている花柄のマグカップ。ふわりと漂うゆずの香りにああ、これはゆず茶なのだと気付かされる。
「かき混ぜてゆっくり飲んでごらん」
言われた通りに一口飲むと、不思議と暖かさが身体中を満たすように感じた。
「甘いもの飲むとほっとするでしょう」
おばあちゃんがにこりと笑った。その時、私の何かが弾けた。
「おばあちゃん、私もう嫌だ。もう受験、できない」
「なんのためにやってるの?もうわからない」
そんなようなことを涙と鼻水のぐちゃぐちゃな顔でつっかえながら訴えた。
おばあちゃんは、私の肩をさするとゆっくり口を開いた。
「ひなちゃんは昔からシロの病気を治すために獣医さんになるんだってずっと言ってたね。今でもシロのこと思い出すから獣医さんになろうと一生懸命に勉強してるんでしょう?ひなちゃんは努力家だもんね。きっとなれるよ」
おばあちゃんの小さな手が、私の頭を撫でた。
勉強で視野が狭くなってシロのこと、すっかり遠くなっていた。そうだ、小学生の頃、どうしたら獣医さんになれるかって図書館で調べたり色んな人に聞いたっけ。あの頃から苦手な算数を頑張って勉強してきたっけ。
「そうだね。あの頃から私、頑張ってきたんだもんね」
おばあちゃんに言うでもなく呟くと私は残りのゆず茶を飲み干した。一気に飲むゆず茶はとても甘く感じた。
あれから年月が経った。私は無事獣医になれたし、シロと同じような病気の犬や猫を懸命に治療している。
おばあちゃんはーあれから2年後に癌の再発で他界した。今思えば、色々してくれたおばあちゃんに何もしてあげられなかったように思う時がある。
そんな時、自分で作ったゆず茶を飲んで一呼吸置くことにしている。
ーおばあちゃん、ありがとう。私、おばあちゃんのおかげで夢が叶えられたよ。
だから、その思いに応えるように頑張るねー
寒い日のゆず茶は美味しさも一入だ。
薄い琥珀色と、ゆずの香り。これが私のお気に入りのひととき。
#ゆずの香り
12/22/2023, 5:05:03 PM