ひとを愛するということ
それが分からない
誰かが言っていた
愛とは洗脳だと
自傷だと
人へ恋すること
それが分からない
誰かが言っていた
恋とはしがらみだと
足枷だと
あの人を愛したならば
私はあの人に
この身を
心を
命を
血を
肉を
捧げる
あの人に恋したならば
時間を
自由を
視線を
五感を
捧げる
もし愛がないなら
私は
私のものだった
もし恋しないなら
私は
どこへまでも行けた
どちらが消えても
人間は自由である
己のゆくままに
だが、
ひとは愛する
ひとは恋する
自由であることの引き換えに
自ら強く脆い鎖に繋がれる
それがひとであるから
愛がないなら
恋をしないなら
わたしは
あなたは
孤独に
海を
大地を
空を
駆ける
愛したから
恋したから
わたしは
あなたは
鎖に繋がれ
共に
地を這う
愛-恋=
自由
孤独
ある人には幸福
ある人には不幸
残るものなど
残ったものなど
残ってしまったものなど
残したものなど
くだらぬ理想に過ぎない
またね
その“また”はいつか
母の手を引き訊ねた。
またね
その“また”をたのしみに
手を振り家路に着いた。
またね
その“また”は毎日繰り返す
2人の間はいつもになった。
またね
その“また”に形ばかり反応し
予定を立てずに日々を過ごした。
またね
その“また”は枕詞と化していった
約束は約束にならずに日々が過ぎてゆくばかり。
またね
その“また”は来るのか
またね
またね
またね
死の薫る夏。
玄関先に蝉が。
道端にはミミズ。
校庭には鳥。
夏がくると色々な香りがする。
草木の茂る香り。
川の涼し気な香り。
色も鮮やかになる。
深緑、青空、白い雲。
あとは、麦茶の茶色。
洒落たそうめんの5色。
ラムネの瓶の水色。
こうやって感じれるのは、
私が今生きているから。
次の夏にはいないかもしれない。
いつか大空を駆けた人たちも
ラムネの泡のようにはぜて消えた。
私も、あの人と同じなら……
ラムネの泡が羨ましく思えた
せっかくの休みも家で溶かしてしまう。
そんなのが嫌だから、散歩に出てみた。
別に外に出るのが好きな訳では無い。
ただ何かやった感を出したいだけである。
私の家の周りは田園が広がっていて、京都の街のように規則正しく道が走っている。
どこ歩いても同じ様な景色であるから、自然と目線は下に下に向く。
地面に落ちているものの方が、景色を見るより何倍も面白く感じてしまう。
付いと別れてしまった軍手とか、蝉に群がる蟻とか色々な物が落ちているのが、面白く思えて良い。
しばらく歩くと、トラクターを停める為の土手に青い小さな花がポツポツと咲いているのが見えた。
傍から見れば、ただの雑草にしか思われないかも知れない。
だがその時私には、テレビでやるような上等な花畑より,こちらの方が美しく、尊く感じたのだ。
一輪だけ花を積めば、私の散歩は終わりを告げた。