再
利
用
サ
レ
ユ
ク
ゴ
ミ
ド
モ
ガ
モ
ト
メ
ル
ハ
輪
廻
で
は
な
く
焔
跳
ば
そ
う
と
し
て
跳
ば
せ
な
い
現
実
の
味
列
車
が
か
い
た
香
水
と
汗
言
葉
は
い
ら
な
い
た
だ
愛
が
ほ
し
い
と
言
わ
れ
AI
に
な
る
僕
「すみません、よくわかりません」
家族を連れて海で遊ぶ親子
若い身体の透き通った柔肌と艷やかな黒髪
友人たちとくだらない話をながら飲み明かす夜
好きなことに熱中して、ただ楽しいと思う時間
いつの間にかそういった世間一般に幸福と呼ばれるような瞬間が目に入らなくなっていた。
そのうらにいつも自意識の穢い影を伏し目がちに探している自分がいることに気づいた。それを抜け目なくどんな些細なことでも見逃せないこと、それを賢さだと勘違いしていた。幸福を維持することよりも生活の心配に追われた何もない不幸に身を窶す方が遥かに楽で不安がないことは確かだ。人は幸福の為に生きているのではなく、ただ生きるが故に生きていく。
だけど、私は、私が見たかったセカイってそんなつまらない地獄だったかなって。そんな時にちょうど君が突然扉を開けて私を引っ張り出してくれる――なんてことは勿論ないと分かっていて、私が鍵を開けて扉を開いてすぐそこで座り込んで待っている君に逢いに行かなければならないんだね。
扉越しの対話
◯月◎日
理髪店や飲み会などで恋に関する所見は数えきれないほど聞かされたが、どうも私は未だにこう、人としてというか恋愛対象として好きということがわからないようだ。少しだけ、当て嵌まる人物がいるか考えてみる。その人の視界を独占したいような、それでいてその人の目に自分がどう映っているのか心底怖くてたまらないような、そんなモヤモヤを果たして好きと名付けてよいのやら。❲ボールペンで激しく塗りつぶされている❳
読み返してみると、私のこの日記は普段の私の姿勢を何と色濃く反映していることか。人物名はおろか出来事すら殆ど書かれず、自身の考えや悩みに終始している。それは、私が上記したような人の自分に対する目を無意識的にしろ忌み、畏れている証拠だろうか。けれど、そんな私がある人物を念頭にこうして自問せざるをえなくなっている。
もし、彼女がちょうど今の私のように内容はどうあれ私の事を日記に書いてくれていたなら。この気持ちは何だろう? 今まで私が人の日記、つまりは内面の歩みに対して関心をもって一度でも想像力を働かさせた事があったろうか。勿論孤独が見せている自意識過剰の幻かもしれない。けれど、彼女の目に映る世界が今日も善きものでありますようにと、心の一部が自分ではない誰かによって確かに占められている事自体がすでに恐ろしくも本当に有難いと思う。そんな気持ちが本当に私にも持ちえるとすれば、また明日をただ生きていけるような気がした。
誰かと共に生きれるように、そんな今の気持ちを忘れないような自分で有りたい。