◯月◎日
理髪店や飲み会などで恋に関する所見は数えきれないほど聞かされたが、どうも私は未だにこう、人としてというか恋愛対象として好きということがわからないようだ。少しだけ、当て嵌まる人物がいるか考えてみる。その人の視界を独占したいような、それでいてその人の目に自分がどう映っているのか心底怖くてたまらないような、そんなモヤモヤを果たして好きと名付けてよいのやら。❲ボールペンで激しく塗りつぶされている❳
読み返してみると、私のこの日記は普段の私の姿勢を何と色濃く反映していることか。人物名はおろか出来事すら殆ど書かれず、自身の考えや悩みに終始している。それは、私が上記したような人の自分に対する目を無意識的にしろ忌み、畏れている証拠だろうか。けれど、そんな私がある人物を念頭にこうして自問せざるをえなくなっている。
もし、彼女がちょうど今の私のように内容はどうあれ私の事を日記に書いてくれていたなら。この気持ちは何だろう? 今まで私が人の日記、つまりは内面の歩みに対して関心をもって一度でも想像力を働かさせた事があったろうか。勿論孤独が見せている自意識過剰の幻かもしれない。けれど、彼女の目に映る世界が今日も善きものでありますようにと、心の一部が自分ではない誰かによって確かに占められている事自体がすでに恐ろしくも本当に有難いと思う。そんな気持ちが本当に私にも持ちえるとすれば、また明日をただ生きていけるような気がした。
誰かと共に生きれるように、そんな今の気持ちを忘れないような自分で有りたい。
8/26/2023, 1:24:48 PM